「40歳を過ぎたら、舞台に立たないと思っていた」――奇跡の女形、坂東玉三郎が歩む芸道一筋の70年
舞台上の女性をどう作り上げるか
小さい頃から女形に憧れたが、10代半ばには身長が170センチを超えていて、女形としては長身だった。そのため、小さく見せるための工夫をした。 「膝を折って、相手役のそばに行った時には、相手役に合う寸法になっていきます。日本舞踊は腰を入れたり伸ばしたりすることが基本ですから、苦ではありませんでした」 浮世絵や近代画家の美人画が参考になるという。舞台上の女性をどう作り上げるのか。 「舞台の上の女性というのは、作品だと思っています。例えば、五線紙上に書かれている音符は、記号的なものですよね。それを楽器が演奏すると、光や影、四季折々が感じられる。絵画も、絵の具をキャンバスにのせていくことで、さまざまなものを感じられます。モネやドガ、ピカソ、ダ・ヴィンチもそうです。そういう細部の作りものの集合体が女形でもあると思います。自分は女性ではないので、自分の性(さが)というものを使えませんから、多少その数が多い……」 「ただ、女性を演じる女性たち、すばらしい先輩の女優さんたちを見てきました。そういう方たちは、自分が女であるということを一回すべて細部にばらして、再構築できる方々ばかりでした。ですから、(女形と女優は)それほど変わりはないと思います」 例えば母親役を演じる時には、実母を思い浮かべることもある。 「母は愛情が大きく、父よりも理性的な人でした。理性的でありながら、感情を隠せなくなる時の移り変わりを、子どもなりに見ていたような気がするんです。それが舞台で演じる時に出てきますね」
長い時は10カ月も続く心身の不調
20代前半、多忙な毎日を送るなかで心身のバランスを崩したこともあった。 「2年半、1日も休まなかったんです。軽い心身症状態になりました。考えてみると、16歳の時にもうつの状態が出ているんです。そして24歳、38歳、41歳の時に出ました。徐々にうつの深さは浅くなってくるんですけど、長くなった。旅行するとか他の仕事をするとか、違う環境に行くことが重要だと分かってきました。それと休養ですね。肉体的な問題より、精神的に張り詰めた状態をずっとは続けられない」 長い時は10カ月、不調の状態が続いた。今までに一番長く休みをとったのは90日。休みといっても、そのうちの30日間は次の稽古に向けた準備期間だ。これまで、舞台に立つことをやめようと思わなかったのはなぜだろうか。 「冗談だと思わないでもらいたいんだけど……何も他の仕事ができなかったし、好きだったということだと思います」