「お金は社会に還元して死ぬ」――「暴走族」安藤忠雄79歳、規格外の人生
異端の建築家、安藤忠雄。大阪の下町に育ち、17歳でプロボクサーとして活動したのち、独学で建築の道へ。大阪を拠点に世界で活躍する。「学歴も社会基盤も、特別な才能もない。困難ばかり。ひたすら全力で生きるしかなかった」。今年、79歳。がんで5つの臓器を摘出するも、いまだ現役だ。一心不乱に生きること、不屈の精神を語る。(取材・文:塚原沙耶/撮影:殿村誠士/Yahoo!ニュース オリジナル RED Chair編集部) (※2020年9月の再配信です)
内臓がないのに元気で、縁起がいい
「内臓がなくても、生きていけますよ。面白いのがね、中国の方から仕事を頼まれて、『どうして私なんですか』と聞いたんです。『内臓が5つもないのに元気なのは、世界中の建築家を探しても安藤さんしかいない。縁起がいい』と」 2009年にがんが見つかり、胆のうと胆管、十二指腸を摘出した。14年には、さらに膵臓と脾臓を取った。それからずっと、食事管理と運動を徹底している。 「食事は1回40分かけて、しっかり噛む。雨の日も風の日も1万歩は歩きます。夜はジムに行って45分。おかげで前より調子いいですよ。内臓がないと、軽くていいです」 取材場所の大阪市中央公会堂へ、焼けつくような日差しの下、一人でふらりと歩いてきた。79歳の今、体力も考えるスピードも40歳の頃と変わっていないという。 「緊張感を維持できなくなったら、引退しようと思います。物事うまくいかない時のほうが、かえって気持ちも体調もよろしいですよ。よし、また越えてやると思うから。仕事をしようとしたら、必ず壁にぶち当たる。でも、壁の向こうにどんな面白いことがあるか。その好奇心があれば、乗り越えられます」
人生はあきらめるのも大事。ボクサーから建築家へ
自らを「素浪人」、自分を支えるものがなく、誰からも認められない人間だと捉えている。 「学歴も社会基盤も、特別な才能もない。困難ばかり。そういう人間ですから、ひたすら全力で生きるしかなかった」 1941年9月、大阪市に生まれた。終戦後は祖父母のもと、長屋が立ち並ぶ下町に住み、近所の木工所や鉄工所の職人を見て育った。 「10代の頃は50年代ですから、社会もまだ貧しく、未来への希望など見えなかった。その代わり、夢はあった。14歳の時に自宅を2階建てに改装することになって、近所の大工さんが工事に来ました。昼飯も食わず、一心不乱に働く大工さんの姿を見て、美しいと思った」