自己責任論が蔓延する日本 「私たち」を主語に“共感力”で助け合う世界を 霊長類学者・山極壽一さん【Style2030】
山極氏は研究のためアフリカへ通う中で、学びや教育の本質に触れたという。 山極壽一氏: 僕が付き合っていた狩猟採集の人たちっていうのは基本的には教えません。だけど、子どもたちがある年齢になったら、自然の中に連れていって、自然の仕組みや植物や動物、虫や鳥をそれぞれ手に取って、どうやってそれを捕まえてどうやって料理して、人間にとってどういう意味があるかっていうことを教えるわけだよね。 自然っていうのは毎日毎日変化するわけ。変わりゆく環境の中で、自分が習得した知識を応用しなくちゃいけないってことだよね。変化に瞬時に適応していく直観力の中で、それを果たすっていうことを個人個人が覚えてくわけで、それがそもそもの学びだったと思う。 都市ができ、産業革命が起こり、時間を単位にして、生産物を作るようになると、それに従事する人間も時間単位で管理するようになるわけだよね。工場で働く人たちを管理することと、スケジュールに従って真面目に働く人たちを作らなくちゃいけないわけ、教育で。それが国民国家の教育なんです。 今の教育制度っていうのは、そういう国民国家の教育制度にずっと則っているわけ。だけど、今これだけ気候変動が起こり、世界がどんどん変わっていく中で、みんなが同じように均一な教育を受けて、本当に世界で活躍できる能力が育つんだろうか。むしろ、個人個人の能力に合った、あるいは個人個人の立てた目標に合った教育を個別にしてあげた方が、将来、自分の能力を発揮できる世界を見ることができるんじゃないかと思う。 今の子どもたちにとって重要なのは、生きる力なんだよね。狩猟採集時代、いろんな自然の中で出会いがあって、毎日毎日違う課題を乗り越えなければならない。それも1人じゃなくてみんなで。その中で生きる力を涵養をしてきたわけだよね。 だけど、今は生きる力を教えていない。ただ正解のある問題を同じように解いて、できるだけ早く正解に行きつくことだけが求められている教育をしているわけだよね。そうすると生きる力ってわいてくるわけないじゃん。 僕らの子ども時代、田んぼに行ったり、川に行ったりして魚釣ったりあるいはヘビを捕まえたり、ドジョウすくいしたり、いろんな生物と交わり合いながら遊んでいたわけだよね。生きる力って遊ぶ中で、一緒に生きていく力を作るものなんだよね。 自分1人で生きる力なんてできません。みんなで生きる力を作らないとダメなんだ。そういう機会を与えられてない。それが問題じゃないか。しかも、生きる力はコンクリートジャングルの中で、変わりばえのしない風景の中で作られるものじゃなくて、毎日毎日変わっていく自然の中で鍛えられるものなんだよね。そういう機会を子どもたちにもっと与えてやらないといけないんじゃないかっていうのが僕の意見。