恋愛や性行為のない結婚をしたはずが…10年目で突然すべてが一変した「夫の一言」
より柔軟な解決を
もとよりADRは、法律の枠組みに縛られない柔軟な解決を目指す場であるが、LGBTQの方々の離婚協議の場合、さらにその柔軟さが求められる。国籍や文化的背景が異なる場合もあるし、婚前契約を交わしている場合もある。また、今回の事例は法律婚カップルであるが、法律婚ではなく、パートナーシップ契約を交わした二人である場合もある。そのため、調停者の価値観や常識を捨て、当事者の語る言葉を紡いでいくような協議が求められる。私たちのセンターに所属する調停人は、そのために研鑽を積んでいる。
子どもの視点を大切に
性的な問題は個人性、個別性が強く、家族という枠組みが薄れたり、声を上げられない子どもの存在が見えなくなったりすることがある。そもそも、結婚やパートナーシップ契約は、家族や子どもを大切にしたいがための選択でもある。そのため、調停人は子どもの視点を双方に思い出してもらい、「子どもにとってより良い解決を」という共通認識を明確化することが大切だ。その際、頭ごなしに子どもを一番にという話を持ち出すのではなく、親のそれぞれの中にある、子どもへの愛を現実化させるにはどうしたらよいかを考えていく。
双方の納得度が最大になる解決を
そもそも私がADRをやっている理由のひとつに「自分らしく生きるお手伝いがしたい」という思いがある。残念ながら現状が幸せでないのなら、勇気を出して、自分らしく幸せに生きる道を模索してもらいたいのだ。しかし、経済的な理由や知識不足、もしくは力関係の差などが原因で現状にとどまって我慢するしかない人たちがいる。そんな人たちに、問題解決のひとつの選択肢としてADRを提供したいと思っている。 一方、性的マイノリティの人々を取り巻く環境はどうだろうか。以前に比べ、いくらかは多様性が認められる社会になってきたものの、法律の整備も遅々として進まず、話し合いの場や枠組みがない。自分らしく生きていいと言われることは多いが、いざそうしようと思うと、とても困難なのだ。自分の権利や思いを主張しつつ、でも相手への尊重も忘れず、双方の納得度が最大になる解決を目指す。ADRがそうした解決の一助となることを願っている。 先日亡くなられた谷川俊太郎氏の詩を集めて作られた一冊に、『そんなとき隣に詩がいます』 というものがある。自分の根幹、すなわち魂が危機に直面しているとき、たとえ専門家であっても他者ができることには限りがある。しかし、そうしたときこそ、自分の人生の節目の形成を助け、見守ってくれる他者の存在が必要である。私たち「家族のためのADRセンター」は、「そんなとき隣にいる」存在でありたいと願っている。
小泉 道子(家族のためのADRセンター代表、臨床心理士)