代筆屋という設定の妙『光る君へ』2話「代筆仕事は私が私でいられる場なのです」に心揺さぶられる
様々な小ネタを散りばめて
藤原道長(柄本佑)と詮子(吉田羊)、まひろと太郎(高杉真宙)。 二組のなかよし姉弟にほっこりする。どちらも本音で語り合える、軽い調子で言い合ったりもできる。頼む、この先ずっとこんな姿を見せてほしいと心から祈っている。 「学問が好きなんじゃない、和歌や漢詩、物語が好きってだけ」というまひろの台詞に、 「国語が得意ってわけじゃないよ、本を読むのが好きってだけ」と主張していた、中学生時代の自分や友達の文学少女ムーブを思い出し、懐かしいやらなんだか恥ずかしいやら。 そして、まひろが太郎に教える孟嘗君の鶏鳴狗盗(けいめいくとう)。 小倉百人一首 夜をこめて鳥の空音は謀るとも世に逢坂の関はゆるさじ(清少納言) (夜明け前に鶏の鳴き真似をして騙そうとしても、この逢坂の関は開きませんよ。函谷関じゃないんですからね) こちらの元ネタとなった故事である。 この和歌は、清少納言と藤原行成の間で交わされた、宮中のオシャレ男女の軽いジョーク。孟嘗君の鶏鳴狗盗、函谷関の故事を歌に組み入れて返すなんて、なんと広い知識、なんと機知に富んだ女性だろう。これぞまさに教養。さすが清少納言!……と大評判を呼び、後世まで語り継がれるエピソードだ。 その故事をドラマ内のまひろは15歳で頭にしっかり入れていたことになる。 清少納言と紫式部の関係を知っている古典文学ファン、歴史ファンにとっては「あっ」と思う場面だった。源氏物語オマージュだけではない、ドラマ内に様々な小ネタを散りばめて楽しませてくる。
テレビドラマの強靭さ
成人したのちも散楽を見るために、身をやつして庶民の町を歩く道長。 「貧乏旗本の(旗本じゃないけど貧乏に見せかけた)三男坊」暴れん坊将軍じゃないか……とチラッと思ったり。 将軍様が江戸八百八町で悪者を成敗するわけないのに物語として成立したのと同じく、平安貴族の代名詞的存在・藤原道長が都の下町にいても物語として成立する。テレビドラマの強靭さを目の当たりにする思いだ。 ちなみにこの頃、道長は上流貴族の子弟出世コースである右兵衛権佐(うひょうえごんのすけ)に任ぜられた。兵衛府は天皇とその家族を護衛する役職、唐名で武衛(ぶえい)。この右兵衛権左には後年、源頼朝が任官され「佐殿(すけどの)」と呼ばれる。 元服して大人になった道長は、従者・百舌彦(本多力)の逢引きを「あーハイハイ、いってこい」と送り出すようになっている。逢引きの相手・ぬい(野呂佳代)とも会釈を交わす間柄。成長したのね……あの三郎なら、そう育つだろうなと1話を振り返る。 散楽は、1話の時点ではおそらく「安和の変」を演じていた。969年(安和2年)に起こった政治的事件で、藤原氏がライバル氏族を朝廷から追い払ったとされる。1話で三郎が観劇していたのは978年(貞元3年)であったから、少年三郎にとってはまだ物心つかない頃の藤原一族題材の作品を見ていたことになる。それが今回は、ハルの女御とアキの女御……アキの女御が皇子を産んだのに后になれなかったことがコメディ仕立てで演じられた。アキの女御は勿論、藤原詮子を指す。 道長の家族が風刺的に演じられるのは兼家とその子らが大きな力を持っている証であるが、劇中アキの女御が助けを求めるのが、父でも兄でもなく「弟よ~!どうしたらいいの!」。梅壺の女御がしょっちゅう弟・道長を呼び出しているという噂話が下々にまで伝わっていることに道長と共に「えっ」と驚いた。 ひとの口に戸は立てられぬというが、まったく内裏は油断も隙もない世界だ。