石川佳純(元卓球日本代表)「辞めなくて良かったと思いました、あの時に。辛かった時に」──パリ2024オリンピック特集「レジェンドが名場面を振り返る」
楽しいロンドン、緊張のリオ、成長の東京
──ロンドンは一番年下で、それからリオ、東京と年下の選手を牽引するようになって、立場が変わっていきました。 ロンドンは若手として先輩についていくなかで経験させてもらって、リオでは自分で点を取ってチームを勝たせる、勝たせたい、という気持ちがあって、最後の東京はキャプテンとして若手の選手、年下の選手と一緒に力を出せるように、という感じでしたね。 ──それぞれの大会を改めて振り返ってください。 一番楽しかったのはロンドンです。 ──楽しそうに見えました。 プレッシャーもそれほどなくて、若手らしく勢いよくやれました。初めてだからよくわからないということもあって、もうがむしゃらに頑張るしかない。先輩二人についていって獲得した銀メダルでした。 ──日本人最高(当時)となる世界ランキング5位で迎えたリオ大会はシングルスで初戦敗退。悔しい結果となりました。 ロンドンで一度メダルを獲っているぶん、「絶対落とせない」という気持ちで迎えました。「勝たないと、自分が点を取っていかないと、メダルも厳しい」みたいに。そんなことを考えてしまった、すごく緊張したオリンピックでした。 ──東京の団体戦では本気で金メダルを目指しました。 地元開催の特別なオリンピックに出たいという思いがありました。ロンドンやリオにはなかった感覚なんですけれど、「ここまで頑張れてすごくよかった」と思えたんです。若手の選手と一緒にプレイさせてもらって、逆に年上として学ばせてもらったり成長できたオリンピックでしたね。目指す気持ちはどの大会でもあったんですけれど、東京は本気で団体の金メダルを狙いにいった大会でしたね。
極私的ベストマッチは?
──3大会を振り返って、個人的なベストマッチはどの試合でしょうか? 考えたんですけど、どうだろう、と思って。う~ん、あの~、どうだろう(笑)。リオの団体戦、銅メダルをかけて対戦したシンガポールかもしれません。相手のエース、フェン・ティアンウェイ選手に勝った試合です。一般的には地味な試合かもしれないんですけれど、私にとっては同じリオ大会のシングルで負けてしまったこともあって、そこから立ち直ってもぎ取った1点だったので、「自分を褒めたい」という気持ちで選びました。でも、本当のベストマッチとなると、やっぱりロンドン大会かもしれません。団体戦、銀メダルを決めた3番のダブルス。一番調子がよかったですね。打ったら入る、絶対負けないって初めて思いました。 ──我々は絶対知らない領域なんですけれど、アスリートの皆さんは「ゾーンに入る」とよく言います。そんな感じですか。 それでしたね。ゆっくり見えるというよりは、打ったら絶対入ると思いました。 ──当時の自分を「喜怒哀楽が激しい性格」と分析していましたが、その自信は性格も影響したのでしょうか。 あ、違います、違います、全然。楽観的でしたけど、そういうふうに試合中に感じることはあまりなかったんです。ロンドンのメダルを決めた3番のダブルス。あれは打ったら入る。絶対負けないと思いました、試合の時に。 ──どのあたりでゾーンを確信したんですかね。 1ゲーム目の途中です。 ──「あ、何か違う」みたいな。 はい。調子がいいし、今日はもう打ったら入る。今日は「当たり」の日だ、と思いましたね。 ──長い競技生活をふり返っても、オリンピック以外を入れても、その日だけですか? もう一回ですかね。横浜で開催された2009年の世界選手権。この時は本当にボールがゆっくり止まって見えたんですよね。それだけです。長くやっていて2回。思い出せるのはこの2回です。 ──それは、メンタル、フィジカルなど、いろんな好条件が揃っていたんですかね。 それっていつ出てくるかわからないんですよ、私も。いつ、そのゾーンていう、いわゆるゾーンに入れるかわからなくて。調子ももちろんよかったんですけど、集中力がMAXに上がっていたのかなって感じます。研ぎ澄まされた感じはありました。 ──もう一度オリンピックのプレッシャーについて伺います。石川さんは、どんな心持ちで全方向からのプレッシャーを乗り越えたのか。あるいは、もう全部呑みこんでいたのか。 自分を磨くことですかね。常にプレッシャーに打ち克つ自分。打ち克つ。それを跳ねのける強い自分を作るために、ひたすら自分を磨く、っていうイメージです。「これだけやったんだったら負けてもしようがないし、逆にこれだけやったんだから負けない」と思えるくらいまでやることで、プレッシャーを跳ねのける強さみたいなものが手に入れられるのかもしれません。磨く。自分を磨きあげる。鍛えあげる、磨きあげる、そういうイメージですね。 ──これだけ大きな舞台を経験していると、それが上手くいかなかった、完全に呑みこまれてどうにもならなかったっていうことはあると思います。 あります、あります。リオ大会がそうです。シングルスはメダル射程圏内にいたと思うんです。その当時は、中国人選手以外にほとんど負けていなかったですから。自分自身もそうだし、周りからも期待されていて。そこで失敗(初戦敗退)した時は、今までの人生の中でもそうだし、キャリアの中で一番落ちこみました。自分を励ましようがないというか、失敗は失敗でしかない。オリンピックって、「いい経験になった」や「勉強になった」という舞台じゃないと私は思っていました。勝つか負けるか、四年に一度であり、勝負だしって思うところがあるので、そこで「ああ、失敗した」ってすごく思いました。 ──でも、そこから大会期間中に盛り返して、団体戦で銅メダル。シングルス敗退から団体戦までの間、どん底の中で何していたんですか。 3日間部屋に閉じこもって、ひきこもりましたね(笑)。 ──いっぱい連絡来ますよね。「大丈夫だよ」とか。 でもシングルスの後はしばらく連絡が来なかったです、逆に。皆さんが気をつかってくれたんでしょうね。でも何日か経って、「団体戦、頑張れ」とか、そういうふうに連絡をもらって励まされました。それは東京の時もそうなんですけど、シングルスで負けた後にたくさんの方がLINEやメールでメッセージをくれて、「本当にたくさんの人に支えてもらっているんだな」っていうのをすごく感じましたね、その時に。 ──そんな中でも特に響いたメッセージは。 昔から日本代表で一緒だった選手が、「あの試合、悪くなかったよ」とか、自分の子どもの写真を送ってきてくれて。「頑張れ、全然気にしなくていいよ」みたいな。そういうものはすごく元気を貰えました。 ──喜怒哀楽がじつは激しいという自己分析がありましたが。 今もですけど(笑)。 ──でも「ずいぶん変わった」と、前回のインタビューではおっしゃっています。そういう性格を踏まえてお聞きします。大一番に向けて、心技体で一番大事なものはどれでしょうか? 心が一番大事だと思うので、まずは半分が心です。残りの2.5ずつが技と体。心技体っていうのは私の中ではトライアングルみたいなものだと思っているんですけど、やっぱり心が整っていることが大前提です。技や体でカバーできることはあると思うんですけれど、最終的に自分を支えてくれたり、勝たせてくれるのは心なのかなと。でももうちょっと若かったら、心が9割かもしれません。長い間選手として生活してきて、体が自分を鍛えてそこが心をカバーしてくれたり、技がカバーしてくれたことを感じたこともあったので、それもあって5割にしたかもしれないです。バランス型ということになりますね。
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