【もうすぐ大改造される日本の名建築】林昌二、山下和正(日建設計)〈武蔵野公会堂〉
東京・武蔵野市の公共文化施設として長らく親しまれてきた〈武蔵野公会堂〉で、再来年度から大規模な改修が始まる。建物の主要部は残り、工事が完了した後はまた使われ続けるが、現状の姿が見られる期間はあとわずかとなった。この連載記事では、【もうすぐなくなる日本の名建築】と題して、惜しまれつつ解体が決まった建物を紹介してきたが、今回はその番外編【もうすぐ大改造される日本の名建築】として、本施設を取り上げる。 【フォトギャラリーを見る】 JR中央線の吉祥寺駅を南口側へ出る。井の頭通りを渡ると、すぐに〈武蔵野公会堂〉は見えてくる。駅から歩いて2分という、交通至便の立地だ。 開館は1964年。武蔵野市の市政10周年事業として建設され、市が運営していたが、現在は公益財団法人武蔵野文化生涯学習事業団が指定管理者を務めている。 施設は2つの棟から成る。通りに面して立つのが会議室棟で、塔状のコア2本で、2~3階部を持ち上げた格好を採っている。1階のピロティに面して玄関が設けられ、奥に抜けると駐車場がある。全体でゲートのような役割を果たしている。 もう一方のホール棟は、会議室棟から直角に延びる方向に配置されている。武蔵野の雑木林をイメージしているとも言われるユニークなシルエットは、長い距離を柱なしで支えることが可能になる、逆シリンダーシェルの構造がそのまま現れたものだ。 いずれの棟でも、コンクリート打ち放しの面に溝形の模様が施されたり、レンガくずを埋め込んだコンクリートパネルが使われたりして、簡素な材料による豊かな質感づくりが工夫されている。1960年代のモダニズム建築ならではのデザインだ。
〈武蔵野公会堂〉を設計したのは日建設計だ。2000人を超える所員を擁する、日本で最大手の建築設計事務所だが、当時はまだ700人程度の規模で、名称も日建設計工務だった。 その中で、この建物の設計チームを率いたのは林昌二(1928-2011)。銀座4丁目交差点にあった〈三愛ドリームセンター〉(1962年)や、竹橋の〈パレスサイドビル〉(1966年)を担当したことで名高い、日建設計を代表するアーキテクトである。 そして林の下で設計を担当したのは山下和正(1937-)だった。山下はこの建物を手がけた後、海外に渡り設計実務の経験を積み、日本に戻ってから自らの設計事務所を開いた。南青山の〈フロム・ファースト・ビル〉(1975年)や、〈数寄屋橋交番〉(1982年)などの代表作がある。 2人の著名な建築家の、若き日に手がけた意欲作が、〈武蔵野市公会堂〉なのである。