「お金は社会に還元して死ぬ」――「暴走族」安藤忠雄79歳、規格外の人生
これが建築の道を志すきっかけとなる。中学校を卒業したら大工の見習いをするつもりだった。だが「高校は出ておきなさい」と祖母に言われ、工業高校へ進学。高校時代の安藤は、プロボクサーとしてファイトマネーを稼いだ。 「高校2年生の時に近所のボクシングジムを見学に行きました。そこで、これはいけるな、と。入門から1カ月でプロの試験があって通過しました。1回戦ったら4000円もらえるんですね。当時、大卒の初任給が1万円。けんかしてお金をもらえるっていいなあと。子どもの頃から、本も読まず、音楽も聴かずにけんかばっかりしてた人間ですから」 試合に出場するため、タイまで船で遠征したこともあった。しかし、1年半ほどでプロボクサーの道をあきらめた。 「のちに世界チャンピオンになったファイティング原田の練習を間近で見たんです。これはとんでもないと思って、やめました。人生はあきらめも大事なんです。一心不乱、一生懸命やるのも大事だし、あきらめるのも大事。これを10代で学びます」
家庭の経済事情を踏まえ、祖母に負担をかけまいと、大学には進まず、独力で建築を学ぶ。 「独学のため、京都大学の建築学科に行った友人に教科書を購入してもらいます。読みます。分かりません。小中学校の頃から学業の成績は悪かったので。60人中4番ぐらい。下から勘定してね。それでも、何回も読んでるうちに、ちょっと分かってくるもんなんですね。うまくいかないなら、腹を切ってやるぞぐらいのつもりでコツコツと勉強しました」 大学4年間で読む本を1年で読破すると決め、読書に明け暮れた。アルバイトをしながら、通信教育で作図の基礎やグラフィックデザインを勉強。22歳の時、国内の建築行脚をする。 「64年の東京オリンピックが始まる数カ月前、丹下健三先生がつくられた国立代々木競技場を見ました。世界中の技術者、建築家が憧れた建物です。圧倒的な構造、技術、圧倒的な造形力。心に残る建築でした。その丹下先生が、近代建築の巨匠ル・コルビュジエがすばらしいと書かれている。何とかして、コルビュジエの建築を見たいと思うようになりました」