「お金は社会に還元して死ぬ」――「暴走族」安藤忠雄79歳、規格外の人生
海外渡航が自由化された翌年の65年、安藤はアルバイトをしてためたお金で一人海外へ旅立つ。 「祖母からこう言われました。『お金をためてどうするのか! 使って、自分の頭、自分の体の中に残したほうがいい。ヨーロッパに行って、一番高級なホテルにも、一番安いホテルにも泊まる。いろいろな生活を体験してみたらいい』と」 当時、1ドルは360円、持ち出しが500ドルまで。18万円を持ってヨーロッパへ向かったが、これが長い世界旅行になった。 「横浜港から船でナホトカに行って、シベリア鉄道でモスクワへ。フィンランドから、ヨーロッパをぐるぐる回ります。世界中、いろいろな生活がある。帰路はアフリカにも寄っていこうと、マルセイユからセネガル、象牙海岸、ケープタウン。マダガスカル島からインド洋を渡り、8日間かけて今のムンバイへ。インドで空を見上げた時に、星がもう落ちてきそうに美しかった。『この地球は大きい。けれども一つなんだ』と実感しました。7カ月の旅を終えて神戸港に着いた時には、500円ぐらいしかなかった」 「20代の初めに、地球を回ってよかったなと思います。写真や映像で見ても、本当のところは分からない。情報は自分の体で捕まえてこないと。ミケランジェロの建築も自分の体で体験して、ピカソの絵も現地で向き合って。人間の残した歴史がいっぱいある。それを目の前にして考えるんです」
10代、20代の頃、貪欲に見つめた景色が安藤を形成している。 「10代の頃は毎週のように東大寺の南大門に行っていたんですよ。そこで何をするのでもなく、朝から晩までぼーっと見ているわけ。お坊さんが『この青年はちょっと危ないんじゃないか、強盗にでも入るんじゃないか』と思うぐらい。そのうちに『この人は一心不乱に勉強しているから、普段見られないところも見せてやろう』と声を掛けてくれた」 「あれこれ見て歩きながら、建築資材はどこから運んできて、工法はどうやって考えたのかとか、いろんなことに思いを巡らす。南大門は鎌倉時代、重源という僧がつくったもので、日本にはない中国・宋の建築様式なんです。陳和卿という南宋出身の工人の協力を得て完成させた。資金は全国から寄付を募って工面した。南大門の歴史から、人の力を借りないとものはつくれないと分かりました。私もそういう仕事をしたいと思った」