最初は抵抗あったけど、もう全部やっちゃおう、って――サブスク全解禁、矢沢永吉50年目の先へ
「世界は動いてるんだから。その時代に合わせて楽しんじゃおうよ」 日本にロックンロールを定着させた矢沢永吉が8月1日、サブスク全解禁に踏み切った。ストリーミングに否定的なミュージシャンもいる中で、なぜ72歳の彼は決断を下したのか。昭和の頃から著作権や肖像権を主張し、時代を切り拓いてきた先駆者はどのように芸能界特有の圧力を跳ね返し、デビュー50周年を迎えたのか。(文:岡野誠/撮影:平野タカシ/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部)
サブスクは時代の流れですよね
「サブスクで聴き放題は抵抗ありましたよ。最初はね。僕も昔の人間ですから、本当に一つひとつのアルバムに思い入れが強い。でも、時代の流れですよね」 矢沢は冷静な口調で語り始めた。 音楽市場は徐々にCDからサブスクへ移行している。矢沢は既に3年前から楽曲を配信していたが、なぜ今回ライブ盤を含むアルバム45枚、計638曲もの解禁を決断したのか。 「CDやダウンロードの売上データを見ると、今までの矢沢のファンではない若い人がガンガン矢沢の曲を聴き始めてるんですよ。『ニューグランドホテル』とか『A DAY』とか。それを聞いたとき、届けたいという気持ちがありましたね。もう全部やっちゃおう、って」 2006年の『ROCK IN JAPAN FESTIVAL』を皮切りに音楽フェスティバルに出演し始めて以降、新しいファン層が広がった。 「矢沢を見たことのない若い連中からの反響がすごかったんですよ。『気づいたらこぶしを天に上げてました』とか『本物を見ました』というアンケートを読んで、なんで今まで俺はフェスに出なかったんだろうって。そこから『RISING SUN』や『ap bank』などに出て、今では自分でもフェスを主催してます。切り替え早いからね、矢沢」
残るものは残る。飛ばされるものは飛ばされる
サブスクには否定的な意見もある。アルバム1枚3000円程度のCDに対して、主に1ヶ月定額聴き放題で980円。再生数の上位からギャラが分配されると言われ、アーティスト側の収益が少ないとの指摘もある。 「そうなんですか? やめようかな……なんつって(笑)。ジョークよ、ジョーク。でも、大変なんじゃないの? 管理してるほうも。サブスクを発明した人、すごいと思うな。(アーティスト側を)よくまとめたね。まあ、怒っていてもしょうがないでしょ。グジャグジャ言っても、世界は動いてるんだから。だったらその時代に合うやり方で続けつつ、楽しんじゃおうよ。サブスクが主流になっても、ライブは不滅だと思うし。これから、生のステージで力を発揮できない歌手やバンドは、ますます淘汰されていくんじゃないですか」 サブスクの台頭で、音楽の作り方が変わったとも言われる。「サブスク以前」と比べ、短いイントロやサビ始まりの歌が増加している。 「わかるよ。だって今、僕もNetflixをガーッと見て、面倒くせえと思ったら、途中で止めちゃうもんね。もったいないような、良くないような気もするけど、そうなっちゃうんだよなあ。見放題でいくらだからさ。それはもう、しょうがないんじゃないの? つまんないもん、いつまでも付き合っていられないから、パンと飛ばして次行きますよ。でも、何でもそうだけど、残るものは残る。飛ばされるものは飛ばされる。残るものは、二度でも三度でも見ますよ」 振り返れば、矢沢は音楽界でいち早く携帯サイトを立ち上げ、1990年代からMacを駆使して音楽制作に励んでいた。常に、時代の潮流に乗る柔軟性を持ち続けている。 その一方で、己のスタンスを変えない頑固さも貫いてきた。高校を卒業した1968年、作曲ノートの入ったトランクとギター、所持金5万円を握り締め、広島から夜汽車に揺られて横浜に辿り着いた。 アルバイトをしながら頂点を目指し、1972年にキャロルのメンバーとしてデビュー。“伝説のロックバンド”とも呼ばれているが、実際にはオリジナルアルバムの売り上げはデビュー作『ルイジアンナ』3.5万枚、2枚目『ファンキー・モンキー・ベイビー』6.4万枚、3枚目『キャロル・ファースト』4.9万枚。シングルの最高枚数も『ファンキー・モンキー・ベイビー』の8.3万枚だった(いずれもオリコン調べ)。それがキャロル解散10年後には、各作品累計で100万枚近くまで売れた。 いわばソロ転身後の矢沢の奮闘がキャロルをのちに“伝説”にした。このような1つの言葉に対する緻密さが、音楽制作にも通じている。もっと良い音があるのではないか。もっとリスナーに響く歌い方があるのではないか。技術を追求し続けた。その積み重ねが多彩なメロディーメーカー、異次元のロックシンガーを生んだ。