心が渇いた時にはいつも音楽が薬になった――サザンオールスターズ・原 由子が、桑田佳祐とともに歩んだ音楽人生
「クラプトン好き」で桑田と出会う
中学に入るとブームはフォークソング。周りにロックを聴いている女子もいない。フォーク好きの友達と2人で、サイモン&ガーファンクルの曲を歌って過ごした。 「自分が真ん中に立って歌うよりも、友達の声にハーモニーを重ねるほうが性に合っているというか好きでした」 高校でようやくロック好きの友達と出会いギターデュオを結成。そして高校3年生の時、のちの人生を大きく左右するアーティストのライブを体験する。エリック・クラプトンの初来日公演だ。 「私は2日目と3日目(※74年11月1、2日)を観に行ったんですが、本編の最後で彼が(代表曲の)『いとしのレイラ』のイントロを弾いた時、武道館がどよめきで大きく揺れた。あの客席の一体感は生涯忘れられない。『もう今死んでもいい』と本気で思いました」 この3日間行われた日本武道館公演の初日(10月31日)を観ていたのが桑田佳祐。2人は青山学院大学で出会った。
「音楽サークルの説明会で『クラプトン好きな子、いる?』みたいな感じで話しかけられた。それから桑田の前で『いとしのレイラ』を弾いたのをきっかけに、(サザンの前身となる)青学ドミノスを結成することになって」 「桑田の印象は『とにかくクラプトンが好きな人』。あんなに渋い声で歌がうまい人を初めて見ました。クラプトンを歌えばクラプトンが乗り移っちゃうし、ボブ・ディランを歌えばディランが乗り移っちゃうし」 「生活環境もよく似ていたんです。実家が商売を営んでいて、4歳上のビートルズ好きの兄(※桑田は姉)と一緒に留守番しながら育って、ロックと歌謡曲が好きだったところも」 一方、桑田はこう振り返る。 「クラプトンみたいなブルースロックが好きな女性なんてめずらしかったうえに譜面が読めてリズム感もよくて。男みたいなタッチの強さで何でも弾きこなしていた。フュージョン系のテクニカルなバンドからも引き合いがきていたんだけど、もし原坊があっちに入っていたら、おそらくサザンは生まれていなかった」