心が渇いた時にはいつも音楽が薬になった――サザンオールスターズ・原 由子が、桑田佳祐とともに歩んだ音楽人生
しかし87年、第2子を身ごもっている最中、映画主題歌のオファーをきっかけに、久々にピアノを弾いた。すると思ってもみなかった感情に襲われた。 「鍵盤に触れた瞬間、涙があふれ出たんです。気付かないうちに、そんなに自分の心は渇いていたのか、と。その時に作った曲が『あじさいのうた』。やっぱり自分は音楽が好きなんだと思い知らされました」 再び音楽に向き合うと、91年に3枚目のアルバム『MOTHER』を編んだ。 「湾岸戦争(90年)が起きた頃で、子どもを寝かしつけている時にふと、こんな静かな夜を迎えられているってなんて幸せなことなんだろうと思って、『夜空を見上げれば』という曲を書いたり。子育て中は日常生活の中で曲が浮かんでくることが多かったですね。ストレスがたまることがあっても、音楽が心のお薬というか、子育てと音楽を同時にやることで、自分自身が癒やされていたし、励まされていました」
100%、桑田の音楽を信頼している
子育てを終えたあたりから徐々にアレンジのアイデアがたまってきた。しかし2010年、桑田が食道がんの手術を受け、原は桑田の看病に集中する。桑田は当時を振り返る。 「彼女はいつの間にか僕の薬についても詳しくなってね。音楽面でも生活面でも、いつも僕の知らないところでアンテナを張って、気付けば新しいことを覚えている。しばらく僕の世話でかかりきりにさせてしまい、ずっと申し訳ないと思ってました」 そんな桑田の思いを原も感じていた。 「10年ほど前から桑田が『どんどん曲を作っておきなよ』と声をかけてくれて。彼なりの気遣いだったんでしょうね。散歩やお風呂の時間に曲のモチーフを考えては書き留めるようになって」 そして今月、原は4作目のソロアルバム『婦人の肖像(Portrait of a Lady)』をリリースする。全曲新曲で編まれた31年ぶりのオリジナルアルバムだ。 詞曲についてのやりとりは、時に自宅のダイニングテーブルで交わされた。 「私が歌詞に悩んでいると、桑田が来て『ここはこうしたら?』とアドバイスをくれて。それがいつも的確なんです。2人の共作になっている曲は、こんなふうにできました」