終わらない戦争に私たちはどう対峙する?歴史からパレスチナとウクライナを考える――小山哲さんに聞く
戦争はなぜ終わらないのか?
―最後に。ウクライナ侵攻もガザ侵攻も、いまだ終息が見えない状況です。その二つをはじめ、なぜ戦争は終わらないのでしょうか? 小山:それは本当に、難しい問いですね……。いろんな答え方があるとは思うのですが、きょうの話の流れでいうとひとつ、「〇〇人の〇〇国」、そういうかたちにしたいとみんなが思っている限りは、この戦争は終わらないだろうと思うんです。 例えば、ロシア人のロシア。ウクライナはその一部であるべきだという考え方――あるいはユダヤ人のイスラエルであるべきだという発想で、その国とその地域に暮らす人々の関係をとらえようとする限り、戦争は終わらないし、またこれからも起こる可能性がある。 すごく根深い問題です。気になるのは、だんだんいまの世界でそういう考えが強くなってきていると感じることです。例えば、トランプが言う「アメリカファースト」とか。中国だってチベット、ウイグルの問題があるし、台湾の問題もある。じつは日本でもそういう考え方は強いですよね。だから日本のなかのマイノリティの人たちに向かって「出ていけ」みたいなことを言うわけですが、これを考え直さないと、戦争というのはなくならないような気が、私はしています。 ―それは、国境線の線引きでとらえるというより、その歴史の文脈の大きな流れ――俯瞰の視点から個々をとらえるような視点が大事ということでしょうか……? 小山:そういった国境線を取り払って、地域社会のようなとらえ方を、頭のなかでしてみるといいかもしれないですね。 東ヨーロッパの歴史を研究していると実感できるのですが、いま引かれている国境線って、全然確定しているものではないんですよね。歴史を見れば、どんどん動いている。特にポーランドの歴史はそうで、途中で国が無くなっちゃうんですよね。 「ポーランド分割」というものがあって、19世紀にまるまる100年以上、自分の国がなかったんです。そのあいだポーランド人は、ドイツ、ロシア、オーストリアという3つの国に分かれて暮らしていた。でもそこを超えて、同じポーランド人だという意識を持って、「我々の文化を守らねば」という運動もたくさんあった。世代を重ねて、ポーランド人であり続けねばという思いを持った人がいたわけです。 そういう歴史を学んでると国境線というのはまったく自明のものでないし、むしろ外して考えてみると、そういう線を越えて「同胞」という感覚を持って生きてる人たちがたしかにいるわけです。むしろその側から考えてみると、どうしたらいま起こっている戦争が終わるのかとか、今後起こらないようにしたらいいのかとか、考えるヒントになると思います。 ただすごく難しいですよ。現実、どうするんですかと言われると、簡単な答えは見つかりません。だって何しろ、いまある国際秩序というのは――例えば国連、国際連合だけれど、結局その基本的な単位は、国境線で区切られた諸国なわけですから……。 ―先ほどのお話にもあったように、「ポーランド分割」の時代に当てはめて考えてみると、その単位ではポーランド人の意思は国連に反映されないという問題が生じますね。本当はあるのに、なかったことになってしまう。 小山:そういうことです。ウクライナの問題でも、トランプがプーチンと交渉をして戦争を終わらせると言っているけれど、そのとき、軍事侵略されたウクライナ人の立場はどうなるの、という問題は当然ある。 パレスチナの問題だってそうですよね。現地にいる人たちの意思は全然関係ないところで、もともと植民地としてヨーロッパ列強が分断支配をしていた地域だったわけで。ほかにも、アフリカにも直線的な国境線が引かれている国はたくさんありますよね。 簡単に戦争を終わらせる手立ては見つからないけれど、でも、私たちひとり一人の問題として、国境線を外したときにどう見えるか考えてみる。そして、できたら考えたことを、コミュニケートできた人たちと話し合ってみる。もっといろんなかたちでさまざまな人と話し合う、そんなことがもっとできたらいいと思います。
インタビュー・テキスト by 今川彩香