終わらない戦争に私たちはどう対峙する?歴史からパレスチナとウクライナを考える――小山哲さんに聞く
「大国」中心ではなく、地べたに立って自分ごととして想像する
―小山さんがおっしゃっている「問題」とは、戦争の根本的なところにある、例えば民族だったり、ルーツであったりの衝突や軋轢が見えづらい、ということを指しているかと思います。それを教育のなかでカバーしようとすると、どうしても膨大な量になってしまうため、大国に焦点を当てざるを得ないという背景もあるのでしょうか。 小山:大きくいえばそうだと思うのですが、私はもっと根深い問題があるような気がしていて。別にすごく細かいところまで、すべてを学ばなくてもいいと思うんです。例えば世界史を勉強するというと、暗記科目のイメージがありますね――何年に何が起こって、誰がどうして、ということを詰め込まないと学んだことにならない、みたいな。じつはそれは最小限やればいい。 歴史を見るとき、どこから見ればいいのかという問題です。明治以降の日本の歴史の学び方には、世界の歴史を動かしてきた強国大国、そのなかに日本も加わって、日本も強く大きくならねばならない、そのためにどこから学ぶか、という考え方があった。そういう発想から歴史をとらえてきて、教育もその方向から行われてきたように思うのですが、そうではなくて。 例えば、強国大国に占領されたり、支配されたりした側から見たら、どう見えるのか。そういう感覚を持てるかどうかの問題だと思うんです。 日本の歴史もそうで、例えば鎌倉時代と江戸時代は、その時代を統治した幕府の拠点によって時代区分がされていますよね。切れ目や意味づけがないと歴史はとらえづらいので、もちろん、その視点から歴史を学ぶことに意味がないと言うわけではありません。 一方で、それに加えて、例えば江戸時代には琉球王国があった。いまの北海道には、アイヌ民族も暮らしていた。琉球王国やアイヌの人びとが暮らす地域は、幕府の支配の及ぶ領域の「一部」といえるのかいえないのか、曖昧な領域だったわけですよね。まず、その曖昧な領域があったんだ、と感じとる必要があるのと、琉球王国の人からみたらこの関係性はどう見えるのだろうか、という感覚を持ちながら江戸時代について学ぶ。そういうことをもっと学校教育のなかで考えてみると、また違うと思うんです。 例えば、ウクライナの戦争が起こったとき。プーチンがどう考えてるかって大事だけれど、ロシア側からだけを見るのではなくて、プーチンに攻め込まれた人たちからすると一体この状況はどう見えてるんだろうか、と考えることができると思うんです。 ―たしかに、プーチン側の動機に焦点が当てられることも多いように感じます。無意識のうちに、大国とされる側の視点に重きを置いていたといいますか……。 小山:歴史学者も反省することなのですが、例えばホロコーストを考えるとき、ナチスドイツとユダヤ人の二項対立で語られてきました。でもそれだけではないんですよね。 第二次世界大戦中、ナチスが占領した地域で、たくさんのユダヤ人がアウシュヴィッツ収容所に移送、隔離され、殺されていった。学校でもそういうふうに習うと思います。その側面が強く語られてきましたが、じつはそれは問題の一部なんですよね。 なぜホロコーストが起こったのか、ということを考えるとき、どこで暮らしていたユダヤ人が隔離され、殺されていたか。それは先ほども触れた「流血地帯」のなかにあって、もともとドイツ人がいた場所ではないんです。 ポーランドやウクライナ、ベラルーシ……その辺りに多くのユダヤ人がいて、普段彼らが接していたのはポーランド人であったり、ウクライナ人であったりするわけです。そこにドイツ軍が入ってきて占領して、実際に虐殺が起こったとき、ドイツ人とユダヤ人の二つの集団だけで説明することはできないんですね。 虐殺の現場には、ポーランド語を話す住民も、ウクライナ語を話す住民もいた。その人々を傍観者と言い切れるかはそこも微妙で。最近やっと、ドイツ人とユダヤ人だけの関係としてみるだけではなく、それに加えて、ユダヤ人が暮らしていた地域、状況を考えのなかに入れて、ホロコーストという現象を見直そうという動きが歴史学の研究者のなかでも起こってきていて。そうすると、問題はもっと深刻だということになるんです。 ポーランド系の人たちのなかでも、迫害に加わった人、逆に匿った人たちもいる。どういった動機で匿っていたか、それをさらに詳しく調べていくと、人道上の理由で匿った人もいるんですが、もうひとつ、ユダヤ人からお金がもらえるから、という理由もある。これはポーランド人自身もあまり語りたくない歴史の一面であるから、研究もすごくしづらいんです。 ―例えば、ホロコーストをテーマにした映画では、どうしてもドイツ人とユダヤ人という二項対立で語られるケースが多いので、そのほかの環境はあまり想像したことがなかったです。 小山:そうですよね。なぜアウシュヴィッツ収容所のことを私たちが知っているのかというと、そこには生き延びた人もいて、その人々が非常に詳しくそのなかで起こったことを語ってくれたからなんですね。一方で、じつは同じくらいの人々が、収容所に送られることもなく、現場で殺されている。生き残った証人がいないんです。 だから、流血地帯という言葉の意味は、収容所でたくさんの人たちが殺されたことだけではない。収容所の外の空間にも、本当にたくさんの血が染み込んだ土地が広がっている、そういうイメージで見なければいけないんですよね。 これも上から見下すのではなくて、地べたに立ってもう一度歴史を見直すと、少しずつ見えてくる問題なんです。そういう視点で歴史を見る習慣を、例えば中学高校で知識を勉強するときから身につけておくと、実際に起こっている戦争を見るときの目線が変わってくると思います。同時に、「自分ごと」にもなってくると思うんですよね。 ―どこか遠くで大きな国同士が戦っているという感覚ではなくて、すべては自分の延長線上にある問題と地続きであるという感覚が重要だ、ということですよね。これは著書のなかでも、例えば日本や欧米が「外」にいるかのような感覚があることを問題として指摘されていました。 小山:そうですね。だからできるだけ、その地域で日常を生きている人たちにとって、いま起こっている戦争がどういうもので、どういうふうに見えているのか。自分は実際その場にいるわけではないので、想像してみるしかないわけです。 たしかに想像するためには知識が必要です。例えばウクライナであれば、ロシア語とは違うウクライナ語という言語があります。そこから、ロシア語とウクライナ語はどういう関係にあるのか、考えてみる。ウクライナ語で作品を書いて出版したり、ウクライナ語の教育をすることが抑圧されたり、禁止されたりした時代があったわけですから、そのことは知識としてわかっていなければいけない。そのうえで、ウクライナ語を自分の言語だと思っている人の立場に立ってみると、ロシア語を押し付ける軍隊が攻め込んできたら、どう感じるか。それを想像してみる。 それと同時に、例えば沖縄の人々は沖縄の言語で暮らしていたところに、明治以降、日本の教育が入ってきて、沖縄の言葉で話すと叱られる状況があった。教室で「標準語で話しなさい」と。アイヌもそうですし、関東大震災の朝鮮人虐殺においても、言葉の訛りを理由に非常に理不尽なかたちで殺されていった。 そういうことも同時に想起されてくる。そういった歴史のとらえ方、考え方というのが、もうちょっと社会にあるといいなと思いますね。