終わらない戦争に私たちはどう対峙する?歴史からパレスチナとウクライナを考える――小山哲さんに聞く
「流血地帯」というキーワード。大国の歴史からこぼれ落ちるもの
―欧州のように、たくさんの国が複雑に絡み合う歴史は、日本に住んでいる私たちからすると、感覚的にイメージしづらいように感じます。ウクライナやパレスチナの成り立ちや文脈を考えるためには、まずはどのような知識が必要でしょうか? 小山:『中学生から知りたいウクライナのこと』で藤原さんも特に強調していることですが、私たちは世界史を大国中心に学んできた経緯がありますね。例えばポーランドやウクライナの歴史と聞いても、流れをイメージしにくいと思うんですよね。 特に、この深刻な問題を考えるには「流血地帯」(※)の歴史について知る必要があります。1930年代から第二次世界大戦が終わるころまで、すさまじい暴力が放置された地域がバルト海と黒海の間に広がっていて、この地域を流血地帯と呼びます。イスラエルを建国した人たちは、ここから移住した人が中心になっているんですよね。 この流血地帯はちょうど、ドイツとロシアの間にあった領域で、大国を中心に見るとドイツ史やロシア史の一部だったり、あるいはロシア革命以後はソ連史の一部だったりします。でも、実際そこに住んでいる人はドイツ人でもロシア人でもなく、ユダヤ人をはじめ、ポーランド語やウクライナ語を話す人々ら、多様な人々だったわけです。 バルト3国からポーランド、ベラルーシ、ウクライナ、チェコ、スロバキア、ハンガリー、バルカン地域まで含めると、いまはたくさんの国に分かれています。この地域は言語も宗教も多様です。大国の狭間にあって、その支配のもとに翻弄されてきた場所なんです。 そういう歴史をどう学ぶかはとても難しいことで、私も正解を持っているわけではないのですが、例えばドイツとロシアの関係だけ見ても語りきれないし、そもそも一番深刻な問題はその語りでは見えてこない。 この流血地帯は、そこにいる人たちそれぞれの立場から、この状況がどう見えているかということを学ばないといけない地域なんです。それを学ぶ準備が日本の歴史教育のなかには、これまであまりなかった。だから何が起こってるのかわかりにくいと、みなさん感じているんだと思うんですよね。 ※アメリカの歴史家、ティモシー・スナイダーが提唱した概念。20世紀半ば、ポーランドからウクライナ、ベラルーシ、バルト三国、ロシア西部にまたがる広大な地域が集団暴力にさらされた。スターリンとヒトラーが同時に政権を握っていた12年間、思い描く国づくりのために、独ソ両国の大量殺人政策が重複して進められ、おびただしい数の民間人が殺害された。