なぜ麻雀にはアウトローなイメージが付きまとってきたのか?それがMリーグなどでどう変わった?唯一の業界専門誌『麻雀界』編集長インタビュー
出版不況が言われて久しいですが、特に苦境に立たされているのが「雑誌」です。2020年だけで100誌以上が休刊。書店の数が減り、近年では物流問題も加わるなど、環境は厳しさを増すばかり…。そんななかでも刊行を続ける雑誌の強さのヒミツとは? 麻雀関連の雑誌が次々に姿を消す中、”唯一の業界専門誌”として刊行を続ける『麻雀界』の高橋常幸編集長にお話をうかがいました。(全2回の2回目) 【写真】『月刊プロ麻雀』「野球界のプロ雀士特集」。ミスターが幕下! * * * * * * * ◆創刊号を開いてみる ――『麻雀界』になる前、1975年に創刊した当時の『月刊プロ麻雀』を開いてみると…伝説のプロ雀士はもちろん、プロ野球選手に文豪など、錚々たるお名前が。別の号には、弊社がお世話になっている五木寛之先生のお名前も! かつて麻雀は、単なる趣味というだけではなく、交流の場として高い価値を持っていました。そのため、今以上に社会や文化と切り離せない存在になっていたのだと思います。 その分、たしなむ人口も今よりずっと多かった。 だからこそ、前回お話差し上げた通り、1978年のピーク時に雀荘が3万6千店も存在していたわけです。今はそれが4千店にまで減ってしまいましたが。
◆追い風が吹いていたけれど… ――あらためて高橋編集長のご経歴についてうかがってもよろしいでしょうか? もともと理系の人間で、理工学部物理学科に進み、大学院にも通いました。しかしそこで麻雀にはまり、2002年にプロテストを受けてまさかのプロ雀士に。 新卒のタイミングでは就職しませんでしたが、当時、プロ雀士という肩書だけではとても食べていけず… 当時プロ団体の代表が経営していた編集プロダクションに勤め、そこで麻雀の本などを手掛けるうち、『麻雀界』の前身『月刊プロ麻雀』の西野編集長と懇意にさせていただくようになり、今に至ります。 今では雑誌の編集長をしながら、全国麻雀業組合総連合会・東京都麻雀業協同組合の理事長も務め、麻雀の普及や業界の健全化を推進しています。
【関連記事】
- かつて3万6千店あった雀荘は4千店に。「密回避」が叫ばれる中、危機的状況に陥った麻雀業界だったが…唯一の業界専門誌『麻雀界』編集長インタビュー
- 石を求めて河原に人が殺到!昭和40年前後の日本を席巻した<石ブーム>とは…創刊42年、石を愛でる人の雑誌『愛石』編集長に話を聞いてみた
- 創刊40年超え!石を愛でる人の雑誌『愛石』の<ヒット企画>とは…編集長「第二次石ブームを起こすのが今の目標です」
- ムツゴロウ「動物学科のときに行った油壷で初めて賭けて打つ麻雀をやって。やる以上は徹夜で、死ぬ思いで打った」
- ムツゴロウ「園山俊二さんを麻雀病にしたことが後から恐ろしくなり…初心者のうちはまだいい。いずれどうあがいても這い上がれない地獄がくる」