なぜ麻雀にはアウトローなイメージが付きまとってきたのか?それがMリーグなどでどう変わった?唯一の業界専門誌『麻雀界』編集長インタビュー
◆「プロ雀士」と言っても ――”プロ雀士”と聞くと、世代的に小島武夫さんとか井手洋介さんなどが頭に浮かんできます。 以前は、ちゃんとした収入を得られるような大きなイベントや大会、またはメディア露出の機会が今よりずっと少なかった。 なので「プロ雀士」と言っても、その肩書だけで食べていけたのは、かなり著名な方に限られていました。それこそ10名にも満たなかったのでは。 それだけに、食い扶持を稼ぐ意味でアウトローな部分にまで足を踏み入れる方が多かったのでしょう。 雑誌としても「麻雀」を核にしつつも、読者がそういったアウトローな話題を好むので、やはり取り入れざるを得なかった。 結果として、麻雀業界全体がグレーな印象になっていったのだと思います。
◆雑誌として売れるとわかっていても ――これも世代だと思うのですが、「麻雀」と聞くと、そうしたイメージが付いて回るのは確かに否めないかも。 たとえば業界では「マンション麻雀」と呼ばれる存在が話題になったりします。 これはマンションの一室などにて、非常に高いレートで金銭のやりとりをする賭けマージャンで、違法な行為です。 なので、たとえばですが「マンション麻雀に潜入」「100万円を一晩で稼ぐ技術」といったアウトローで、好奇心や射幸心をあおった話題を掲載すれば反響は大きいでしょうし、雑誌そのものも売れるかもしれません。 でも、決してそれはやらない。
◆紙は何年も残るから ――それはなぜでしょうか? 前編集長の思いがあり、『麻雀界』ではそういった話題を扱わないと固く決めているからです。 また紙は何十年も残ります。WEBと違ってあとから書き換えることもできない。 だからこそ10年後に読んでも恥ずかしくない内容を残していこう。それと同時にアウトローな話題ではなく、むしろメディアの目が届きにくい、業界をクリーンにしていこうとする人や団体・自治体の取り組みなどに光を当てていこう、と。 そして、その方針で正解だったと今は強く感じています。
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