俺らが大切にしているのは「今」――35周年を迎えたJUN SKY WALKER(S)が語る「昔のことはグチグチ言わない」 #昭和98年
昭和の終わりから平成の初めにかけて、若者を熱狂させた「バンドブーム」。当時ブームを牽引したJUN SKY WALKER(S)は、解散、再結成、メンバーの交代を経て、今なお現役で活動を続ける。出会いは中学時代で、友人としても40年以上の付き合い。「もちろんいろいろあったけど、根に持たないから、俺たち。だから長続きしたと思う」。原宿のホコ天に立っていた1980年代を振り返りながら、ジュンスカを続ける意味をメンバーの3人が語った。(取材・文:山野井春絵/撮影:伊藤圭/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部)
ホコ天はフェスの走りだった
今も昔も若者文化の中心地、原宿。かつて、代々木公園から表参道までの通りは、毎週日曜日に「ホコ天(歩行者天国)」として多くの若者でにぎわっていた。 今年、メジャーデビュー35周年を迎えたJUN SKY WALKER(S)―ジュンスカ―も、ホコ天から大きく羽ばたいたバンドの一つ。ホコ天に立っていたのは、80年代半ば、バンドブームの黎明期だ。当時ライブハウスでの集客がいま一つだった彼らが、いわば宣伝のためにはじめた路上ライブだった。
ジュンスカが初めてホコ天に立ったとき、時代はまだ昭和。ボーカルの宮田和弥(57)が当時を振り返る。 「あのころはまだ『イカ天』(TBS系の深夜番組『いかすバンド天国』)以前です。バンドも少なくて、竹の子族がまだちらほら。『ロックンローラー族』っていうのがいたんですよ。ホコ天が終わるころになると、リーゼントの怖いお兄さんたちが俺らのところにごみ袋を持ってやってきて、『ちゃんとこの周りのごみを捨てて帰りなさいよ』って。普段ヤンチャやっている人が意外とそういうところはきちんとしていたり、あったかい感じが昭和っぽかったな。昭和は、コミュニケーションにも肌感やアナログ感みたいな温度感があったし、だから昭和の音楽が響く若い人たちもいるんでしょうね」
ドラムスの小林雅之(58)は意外な人からも励まされたという。 「昭和は、ホコ天で警官が注意しに来るけど、黙認してくれた時代でしたね。ホコ天は面白かったよね。工事用の発電機を貸してくれた電気屋のおじさんから『頑張れよ』って励まされたり。盛り上がるほど、カセットテープがたくさん売れた。そこからライブハウスにもお客さんが増えて」