「『昔のほうが良かった』なんて言う奴は気にしなくていい」――千原ジュニアが感じるお笑い界の変化 #昭和98年
独特の感性と至高のセンスで、お笑いのみならず芸能界でも屈指の存在感を誇る、希代の「芸人」千原ジュニア。最近では自身初となる4コマ漫画『嗚呼 蝶でありたい』を上梓するなど、その活躍はとどまることを知らない。大手事務所の所属タレントへの性加害やメディアに求められるコンプライアンスが問題となっている芸能界では、これまで当たり前だと思っていた価値観はすべてひっくり返ってしまった。芸能界の今昔を第一線で目の当たりにしてきた男はそれをどう思うのか。デビューから30年以上を経て、芸人をとりまく環境の変化を聞いた。(取材・文:キンマサタカ/撮影:殿村誠士/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部)
守るべきルールが増えたし、芸人に求められるものも変わった
引きこもり同然の生活を送っていた千原ジュニアが、兄せいじに無理やり引きずられるようにして吉本興業の養成所NSCに入ったのは15歳の頃。目つきの悪い二人の若者が演じるシュールなコントは強烈なインパクトを与え、瞬く間に劇場で絶大な支持を集めた。大阪では知らないものはいない人気芸人の仲間入りをした千原兄弟だが、若かりし頃は大阪のミナミが彼らの遊び場だった。 「大阪にはマスコミもいないし、週刊誌もない。当時はSNSもないから、先輩たちは私生活ではかなりやんちゃしていて、そういうのを見てきました。そうあることが芸人らしいという空気と、それを許してくれはる大阪の人たちがいたんです」 とにかくあの頃は自由だったと振り返る。あれから30年以上の月日が流れた。世の中の流れが大きく変わったことを実感している。 「芸人にも品行方正を求められたり。僕がこの世界に入った時とは違って、守るべきルールが増えたし、芸人に求められるものも変わったと思います」 そして、今後このハードルが下がることはないだろうと分析する。 「我々が幼い頃って、50ccのバイクはノーヘルでもOKだったけど。今は義務になってますよね。この先『かぶらなくてもいい』とはおそらくならないでしょう。きっとそういうことなんです」