「1ヶ月プラ使わず生活してみた」SNS動画で''面白い''を入り口に社会を知るきっかけを #豊かな未来を創る人
── 高校生の当時、社会課題の中でも特に興味を持った分野はありましたか。 貧困問題です。というのも、税所さんが取り組んでいる分野で、話を聞いて「かっこいいな」と思ったんですよね。それで大学1年生の頃、友達と一緒にカンボジアへ行ったのが最初の取り組みでした。ただ、カンボジアには行ったものの、「僕にはやっぱりできないかも」「何をしたらいいんだろう」と悶々と考えていました。 ── そこから変わったきっかけは。 カンボジアに行った時、貧困層のお母さんたちに物作りを通じて収入を得る方法を伝える支援活動をしていた日本の方々とゲストハウスが同じだったんです。自分から話しかけに行けなかったものの、SNSでつながることができて。その方々の投稿を見て「いいなぁ」と思いながら過ごし、あっという間に1年が経ってしまいました。 その時にふと思い出したのが、「会いたい人がいるならとにかく会いに行け」という税所さんの言葉だったんですね。このままではいけないと会いに行くことを決意し、メッセージを送ってカンボジアで会うことになりました。 その時の僕は、自分の強みを作るためにいろいろな趣味に挑戦していました。その一つにタイダイ染めという染色技法で洋服を染めるというものがあって。それを彼らに話すと「それ、カンボジアのお母さんたちに教えたらいいじゃん! 今度教えに来てよ!」と言ってくれて、カンボジアでその活動を始めることになったんです。そこから、お願いすれば会ってもらえたことや、自分の持つもので現地の人の力になれたことなど、成功体験を重ねる中で少しずつ自信がついていきました。
「RICEメディア」ができるまで
── 最初は現地での仕事を生み出す活動をされていたのですね。そこから現在の「発信」というスタイルにはどのような経緯で変わったのでしょうか。 タイダイ染めをビジネスにしようとすると、それが良いと思って買ってもらえる構造を作っていかなければならないじゃないですか。でも、もともとは個人的な趣味として始めたので、そこまでのパッションが僕にはなかったんです。これは本当にやりたいことなんだろうか。そんな気持ちが次第に大きくなっていきました。 そこで、カンボジアでのタイダイ染めの活動を勧めてくれた方々に相談したところ、「大切なのは手段じゃなくて目的だよ。困っている人を助けたいなら、その手段は変わっていい」と言っていただいたんです。その言葉をきっかけに、自分がしたいことを改めて見つめ直しました。 その時、たまたまフォトジャーナリストの安田菜津紀さんの本を読みまして。それで、ジャーナリストは「伝える」ことで困りごとの解決に繋げていく仕事だと知ったんです。もともと僕は人に何かを伝えることが好きで、それまでもカンボジアで出会った人を招いて講演会を企画したり、そこで自分が挑戦したいことをスピーチしたりしたことがありました。税所さんの話を聞いて芽生えた「困っている人の力になりたい」という思いと、自分が好きだった「伝える」ことをかけ合わせる。僕がやりたいことはまさにこれだと思い、発信の方向へ舵を切ることにしたんです。