初飛行から30年…毛利衛氏が語る宇宙新時代の「宇宙飛行士」とは
●日本人による月面着陸がもたらすものとは
日本が参画している国際協力プロジェクト「アルテミス計画」は、2020年代半ばに人類を再び月へ送ることを目指している。月の南極における水資源の探査やベースキャンプの建設、また将来の火星有人探査を見据えた技術実証なども行われる予定である。
――「アルテミス計画」の中では、日本人による月面着陸も想定されています。毛利さん自身は、初めて月面に降り立つ日本人宇宙飛行士に対してどのようなお気持ちでしょうか。 科学者技術者として、どんな新しいことを発見して帰ってくるのかに興味があります。 また、これまで月に降り立った12人の宇宙飛行士は、みなアメリカの文化背景を持ち、帰還後もアメリカ人としての表現をしていました。日本的な環境で育ち、日本の文化背景を持った人が新しい環境に行くことで、これまでとは違った見え方、表現がされるでしょう。そういう意味では、日本に限らず世界に新しい影響をもたらすと思っています。
●毛利衛飛行士から私たちへのメッセージ
毛利氏は、南極や深海といったフロンティアへの挑戦に加え、20年間未来館の館長としてさまざまなことに挑戦してきた。なかでも人材育成では、今後科学コミュニケーションが社会にとって重要になるということを、さまざまな経験を通して(未来館で)科学コミュニケーターや海外から訪れた学生などに伝えてきた。館長を退任した現在も本の執筆や講演会などで、人類が未来も生き延びていくためには何が大切で、どんな生き方が必要なのかを考えることについて、発信し続けている。
――講演会などで、必ず伝えるメッセージなどはありますか。 「あなたが今夢見て挑戦したいと思うことは、本当にあなた自身でしたいことですか?」というものです。多くの日本の子どもたちは「親が望むから」というように周りの大人を見てしまいます。そうではなくて、自分自身で本当にしたいことなのかどうかが、本物かどうかの分かれ道になるんです。例えば、NASAでの宇宙飛行士選抜試験では、ほとんど必ずといっていいほど「宇宙飛行士になりたいというのは、いつ頃からの夢ですか?」と聞かれます。子どもの頃からの強い想いがないと、何かあった時に耐えられない。宇宙に行くのに10年とか待たされることもありますから、努力していればいつかちゃんと宇宙に行けるという気持ちを持続できるかどうかは、子どもの頃からの想いが大きく関係すると思います。 ――大人の方でも、新たに挑戦したいと思っている人はたくさんいると思います。 大人の方も同じですね。組織に所属し、給料をもらい、家族を養うためにしないといけないことがある、というのは分かります。しかし、それだけの人生にしていては、きっと後悔すると思うんです。趣味でも何でもいいので、自分が本当にやりたいということを、少しずつ少しずつ実現していく。その積み重ねが、自己の幸せへとつながっていくんです。日本人は、周りの人に迷惑をかけないようにと、周囲の目を気にする人があまりにも多い。日本が平和な社会であるのは、そういう人たちがいるからでもあるのですが、自分の幸せに関わることを少しでも実現し、個として幸せになってほしいと願っています。 【取材後記】毛利さんと初めて出会ったのは、高校生の頃。参加した講演会の中で、宇宙飛行の様子を映像を使って熱く語るその姿に、一瞬で心をわしづかみされた。それから毛利さんは私にとって憧れのヒーローである。初飛行から30年の節目ということで取材の機会を得たが、“挑戦”することに対する心構え、ユニバソロジ的なものの見方など、マインドや世界のとらえ方のスケールの違いにあらためて圧倒された。 ■毛利衛(もうり・まもる) 1985年、北大助教授から初代JAXA宇宙飛行士に。1992年、科学者として微小重力宇宙実験。2000年、NASA宇宙飛行士として3次元立体地形図作成ミッション遂行。同年から2021年まで日本科学未来館の初代館長を務める。宇宙、深海、南極など極限環境からの科学コミュニケーション活動に注力するほか、世界宇宙飛行士会議や世界科学館会議を主催しSDG’s活動を推進。現在は全国科学館連携協議会会長として科学館を通じ地域活性や人材育成に取り組む。受賞は内閣総理大臣顕彰、放送文化賞、NASA 名誉賞、オーストラリア勲章、フランスレジオン・ドヌール勲章など多数。著書は「モマの火星探検記」(講談社)「宇宙から学ぶ/ユニバソロジのすすめ」(岩波書店)など ◎日本科学未来館 科学コミュニケーター 中島朋(なかじま・とも) 福井県生まれ。高校生の時に参加した毛利衛飛行士の講演会がきっかけで、宇宙飛行士や宇宙開発に興味を抱く。趣味は、宇宙飛行士のおっかけ。高校理科教諭を経て、2018年4月から現職