『魔女の宅急便』角野栄子さんの子育て「母親は誰でも“魔法”を持っています」|VERY
『魔女の宅急便』など世代を超えて愛される作品を生み出してきた角野栄子さん。89歳になった現在も現役作家として活躍、近年はカラフルなファッションやインテリアが話題です。ご自身は専業主婦として育児に奮闘する傍ら、作家デビュー。「世界一オシャレな魔女」ともいえる角野さんの鎌倉のご自宅でお話を伺いました。
30代、育児のかたわら物語を書きはじめる
──はじめて本を書いたのは、育児中のことだったそうですね。 「私は31歳で娘を産みました。当時は若いうちに子どもを産むのが当たり前という雰囲気だったから、ちょっと遅いですよね。20代で結婚してからも海外を見てみたいとブラジルに夫婦で移民として行ったり、ふらふらしていましたから。特に出産を先延ばしにしていたわけではないですが30代に入り、もうそろそろ子どもを持ってもいいんじゃないかなとは思いました。私はそのころ専業主婦でしたが、育児中にたまたま大学時代の恩師からブラジル時代のことを書いてみないかと依頼があって、それが本を書くきっかけになったんです。それは34歳ごろのこと、娘は3歳のいたずら盛りで目が離せないので、首から紙をはさんだ画版を下げて追いかけながら原稿を書いていました」 ──育児中に執筆されましたが、ご家族のサポートはありましたか? 「そのころは高度経済成長期で、どこの家の旦那さんも忙しく残業ばかり。フリーのデザイナーをしていた夫も多忙で今の時代のように夫婦で家事や育児を分担するようなことは想像もできませんでした。保育園も今よりずっと数が少なくて、よっぽどうまく条件が合わないと入れなかったんです。主婦の私はいつも子どもと家の中に2人きり。私は幼いころに実の母を亡くしています。なので、たまに美容院に行くだけでも知人に頼まねばならず気兼ねしてちょっと憂鬱でしたね。夫は帰宅が遅いので夜、娘が寝てしまうと孤独で退屈で、本を読むくらいしかできない。でも物語を書きはじめるとこれがすごく面白くて夢中になったんです。私はこれから一生書いていよう、と思いました」 ──もともと作家志望だったわけではないのですね? 「子どものころから将来は作家になると決めていました、というような人もいますが私は違います。結婚後にやりたいことがあったわけでもなく、作家というのは特別な人がなるものだと思っていました。講演会で『作家になるには?』とか『印税生活を送りたい』なんて質問をよく受けるのですが、『有名になってお金儲けしたい』という目的が先にあるといい作品は書けないのではないかなと思います。私は最初の本を書いてから次に本格的な物語を発表するまで7年ほどかかりました。その間は書くことが純粋に楽しくて主婦業のかたわら毎日書いていました。本を出して世間に発表しようという気持ちじゃなかった。ただただ書くことが楽しかったから7年間も書き続けられたんだと思います」