安土城天主を築いた織田信長という「アバンギャルド(前衛)」
西洋に対する東洋
安土城天主には明らかに西洋建築の影響が見られる。前回述べたように安土城の建設中、同じ安土の街に、安土城天主と同じ瓦で葺かれたそびえ立つ修道院(セミナリオ=神学校)の建設が進められていたのだ。信長は、南蛮文化の向こうに、石を積み上げて永続的な空間を築く、カテドラル(大聖堂)を中心とする巨大な都市構築文明があることを見抜いていたに違いない。 しかし安土城天主の6層7層に、仏教、儒教、道教にかかわる絵を描かせたことから、特にキリスト教に信心していたわけではないことは明らかである。内藤博士はこの天主に現れているものを「天道思想」とし、僕によく、信長には道教の影響が強いことを語ってもいた。たしかにそうだが、僕はこの天主に現れているのは、宗教以上に歴史を重視する精神ではないかと考えている。中国の古典を仏教の上階に置いた信長には、宗教より歴史と思想を重視する意識があったのではないか。 それは16世紀における西洋と東洋の文化衝突を体験した人物の、「西洋に対する東洋」という思想ではないか。「南蛮」の彼方に西洋文明の巨大さを見抜いた信長の意識は、「黒船」の彼方に近代文明の巨大さを察知した幕末維新の革命家の意識に似ていた。日本人が「東洋思想」という概念を抱くのは、西洋文明に圧倒されたときである。
アバンギャルド建築家
前回、信長を世界と科学を意識したその時代唯一の近代人とした。それに加えて彼は、長槍、鉄砲、鉄甲船といった戦闘技術の革命児でもあり、楽市楽座、街道整備などまちづくりの革命児でもあった。そしてアバンギャルド建築家でもあったのだ。文化論的にいえば、明智光秀の罪は、信長とともに安土城天主を焼いてしまったことでもある。現存していればまちがいなく世界遺産となったであろう。 安土城天主には、信長の前衛思想家としての側面が見えてくる。天皇にとって代わろうとした、あるいは神になろうとしたという俗説にくみすることはできない。 とはいえ、前回書いたように、信長の残虐な殲滅主義、苛烈な能力主義、進取の技術主義が、そのまま賛美すべきものというわけではない。近代も、前衛も、正義というわけではない。むしろ極端な前進は危険なものだ。