安土城天主を築いた織田信長という「アバンギャルド(前衛)」
思想としての建築
特に重要な上部二層の意匠に関して『信長公記』の記述も参考にしよう。 「六階は平面八角形で、四間ある。外の柱は朱塗り、内の柱は金色。釈迦十大弟子など、釈尊成道説法の図。縁側には餓鬼ども・鬼どもを、縁側の突き当たりには鯱と飛竜を描かせた。 欄干の擬宝珠には彫刻を施した。 最上階七階は三間四方。座敷の内側はすべて金色、外側もまた金色である。四方の内柱には上り竜・下り竜、天井には天人が舞い降りる図、座敷の内側には三皇・五帝・孔門十哲・商山四皓・竹林の七賢などを描かせた。 軒先には燧金・宝鐸十二箇を吊るした。六十余ある狭間の戸は鉄製で、黒漆を塗った。座敷の内外の柱はすべて漆で布を張り、その上に黒漆を塗った」(現代語訳『信長公記』・太田牛一著・中川太古訳・(新人物往来社) 外国人と日本人では記述の仕方が異なり、現代の日本人にはむしろ前者の方がなじみやすいが、内容に矛盾があるわけではない。双方の記述を合わせることによって、職人が技をつくした金箔、朱塗り、黒漆の絢爛たる様子が見えてくる。そしてその画題が、当時の書院造に一般的な花鳥風月ではなく、中国の古典と仏教に依拠していることは、ヨーロッパの建築を飾る画題がギリシャ神話とキリスト教に依拠していることを彷彿とさせる。下階には花鳥風月も描かれたようだが、全体に中国の故事にちなむものが多い。そして仏教という宗教より、神話と歴史を上階においたところが注目される。 つまりこれは宗教建築でも実用建築でもなく、日本では珍しい、ある種の「思想の象徴」としての建築であったと思われる。
フィレンツェのドゥオモ
第6層の八角平面というのはもちろん珍しい。しかも高層建築でその上に四角平面の層が載るというのはほとんど例がない。大阪城や江戸城など、のちの天守閣もこの点だけは踏襲していない。日本の建築的常識では一種の「奇観」といっていいものだ。 そこで僕が思いついたのはフィレンツェのドゥオモすなわちサンタ・マリア・デル・フィオーレ(花の聖母大聖堂)の影響である。 イタリアではドーム屋根だけでなくヴォールト屋根も含めてその街の最大の教会堂を「ドゥオモ」と呼ぶ習慣があるが、このフィレンツェのドゥオモはドゥオモの中のドゥオモといっていい、イタリア・ルネサンスを代表する建築で、この時代のヨーロッパにおける最大最高最新の建築であった。しかも信長はフロイスらに、ヨーロッパにはどのような建築があるのかを尋ねている。もし宣教師たちが具体例をあげて説明するとすれば、このフィレンツェのドゥオモをあげることはきわめて自然である。 天才的な建築家フィリッポ・ブルネレスキによって設計された巨大なドーム屋根(1434年ドーム部分完成)は、8本のコンクリートのリブをもつ二重の殻で支えるという巧緻な技術の結晶で、しかもドームの上に望楼が載っており、高く聳(そび)えるだけでなく、ルネサンス人に高楼からの俯瞰という新しい視野を開いたのだ。一見円形に見えるが、上から見れば8本のリブが八角形を形づくっている。 安土城天主第6層の八角平面は、宣教師たちが信長にフィレンツェのドゥオモについて説明したことが反映されているのではないか、というのが僕の推論である。とはいえこれはあくまで推論であり、それ以上のものではない。史実というよりロマンとして受け止めてほしい。