【異色対談】泉房穂が東大時代の「恩師」と40年ぶりに会った…「80年代の駒場で〈第2次全共闘〉をやろうと思っていました」
泉房穂氏といえば、前明石市長として大胆な市政改革を行い、今は政治状況への鋭い発信と、政界再編に向けた「仕掛け」で知られる現代のキーパーソン。彼には東大時代に恩師がいた。ラディカルな評論家で社会運動家でもある菅孝行氏だ。40年ぶりに再会を果たした師弟が、現代の政治闘争と社会変革の核心を語り合った──。(構成・倉重篤郎) 【写真】再逮捕された「美人すぎる寝屋川市議」の写真集全カット
泉房穂の政治手法は80年代の東大から
若い頃の人との出会いほど大事なものはない。それが1年限り、という短いものであったとしても、その後の人生に大きな影響を与えることもある。その時にはわからなくても、それがジワジワと自分の中で広がっていき、数十年ぶりに振り返って、やはりあの時の出会いが、今の自分を形作る骨格の1つになった、としみじみ思うこともあるだろう。 前明石市長の泉房穂氏にとって、評論家で劇作家で社会運動家でもある菅孝行氏との出会いがそうだった。 泉氏と言えば、市長時代にトップダウンで子育て予算を傾斜配分、その需要創造により地域経済を好循環させ、昨年4月までの3期12年間で同市の財政、経済を立て直し、出生率アップ、人口増にもつなげた話題の人である。この1年余は、その実績を糧に全国いくつかの首長選で応援候補を当選させる一方、国政選挙を複数回勝ち続けることによって官僚政治を打破しようという「救民内閣」構想を打ち上げた政界再編の鍵を握る人物でもある。 その一点突破全面展開、とでもいうべき政治手腕をどこで習得したのか。それは彼の20歳前後の学生時代に体験したことと関わる。東大の駒場寮委員長として、当時の新左翼運動の洗礼を受け、その中で一人の師として、菅孝行氏と出会ったことが1つのきっかけとなったようだ。菅氏の著作『全学連』(1982年、現代書館)などを読み、菅氏を学生自主講座の講師役に呼び共に学んだという。 菅氏も泉氏のことを印象深く覚えていた。理屈から入る秀才左翼学生たちの中で、ただ一人、「体から動く」生活感にあふれる異色のタイプであったからだ。二人の接点はその2年ほどの間ではあったが、両者の潜在意識の中ではそれぞれが生きていた。泉氏は、今一度、師に会って当時のお礼と、あることについて謝罪をしたいと願っており、菅氏は泉氏の明石市長としての活躍ぶりを遠くから眺めていた。 このたび、40年ぶりの両者の邂逅、そして対談が実現した。過去と今を行き来する、そのやりとりをお届けする。(倉重篤郎)