難民1億人時代――クラスメイトの難民たちが明かす逃避行と現在
戦火の街は人として生きていける場所ではない
「バスでマドリードを経てオランダに到着した時、イエメンを脱出してから5カ月が過ぎていた。オランダで難民登録してもらった」 そう語るアマールの部屋からは、小さな運河が見下ろせた。オランダではありふれた、のどかな風景だ。テレビの横にはイエメンの伝統建築の模型。母国では、この模型のような建物が次々と攻撃対象になった。 「最初の頃はタクシー運転手をやっていたけれど、今はオランダ語の国家試験に受かることを最優先させ、勉強に集中している。この国はふるさとのよう。もちろん、イエメンの家族も恋しい。どうしてこうなったのかと、悲しい気持ちになることもある」 そこまで語ったアマールは「でも」と続けた。 「たとえ生まれ変わっても、再び死の危険を冒すことになっても、自分はあのイエメンから逃れると思う」 戦火の街は人が人として生きていく場所ではないからだ。
シリアから来たフェリアル 内戦の砲弾をかいくぐって
46歳のフェリアルは、シリア北東部、トルコとの国境に近い街で生まれた。13人きょうだいの7番目だという。「国家を持たない世界最大の民族」と言われるクルド人の女性だ。難民になる前はシリアで10代の生徒たちにフランス文学を教えていたという。「でもオランダ語を学んだらフランス語は忘れちゃった」と笑う。 彼女の自宅で、じっくり話を聞いた。教室での笑顔からは想像できない体験が次々と語られていく。 「国を捨てようと思ったのは2016年の末なの」 イスラム圏に広がった民主化運動「アラブの春」がシリアにも波及。独裁的な政権の打倒を求める動きが内戦となり、無数の殺戮と破壊が始まっていた。でも、どうやって女性が内戦の砲弾をかいくぐり、欧州に逃れたのだろうか。
真冬の山、ボート……決死の国境越え
フェリアルはまず、シリアからイラクを経て、経由地であるトルコに行くことにした。そして欧州を目指すのである。当時は最も一般的な脱出ルートだった。 彼女を含む5人の脱出者は不法出入国を請け負うブローカーを雇い、雪の中を徒歩でイラク北部からトルコへ進む。ところが、銃を持ったブローカーは途中で女性たちを強姦しようとした。難を逃れたフェリアルも殴られた。揚げ句、国境まで来ると、ブローカーは「あの辺にトルコの村が見えるから」と適当なことを言って、彼女たちを山の中に置き去りにした。 「道もない雪の上に取り残されて。気を取り直して歩いても、いつの間にか元の場所に戻っている。寒くて、寒くて……。トルコ軍に見つかるから焚き火もできません」 子どもは泣きじゃくり、大人たちも声を上げずに泣いた。ようやく夜が明けたと思ったら、武装した男たちに見つかった。銃口がこちらを向く。今度は恐怖で涙が流れた。地面に伏せさせられ、個人情報も所持金も調べられた。トルコではクルド民族は迫害の対象であり、密入国がバレたら終わりだ。しかし、兵士の中にクルド人がいたようで、「クルド語や不慣れなトルコ語を話さないこと」などの警告だけで済んだという。 「その後は半年近く、トルコで不法滞在でした」