難民1億人時代――クラスメイトの難民たちが明かす逃避行と現在
アマールが語る「惨状」 ゴムボートで闇の中を海へ
4月のある午後。レンガ造りの5階建てアパートを訪ねた。1960年代に数多く建設された、オランダではよくある建物だ。その最上階にアマールは妻と2人で住んでいる。 「これを見て」とアマールがスマートフォンを差し出した。画面の中はイエメン時代の動画。2015年に始まった内戦のものだという。破壊された家屋の前で、怯えた男性が何かを絶叫している。 「隣の家が爆撃されたんだ。自分も左足をけがして。今も傷跡が残っている。けがが治ったら、もうイエメンを出て欧州を目指そう、と。2018年だ。その頃にはSNSでの政府批判も危険になっていたんだ」 アマールが住んでいたのは、首都サヌアだ。城壁に囲まれた旧市街は世界遺産に登録されている。ところが、内戦の影響はこの旧市街にも及び、多くの歴史的建造物が破壊された。言論の自由どころか、命も危ない。国際機関は「世界最悪の人道危機」と伝えていた。
婚約者には後で必ず呼び寄せると約束し、アマールは政府軍の厳しい検問をくぐり抜け、地方空港に着き、どうにかエジプトのカイロに飛んだ。この時点でアマールは違法出国だ。 「次に向かったのは、アフリカ西岸のモーリタニア。当時は、違法移民の移動に寛容だと言われていた。同じような境遇の人が5人いて、そこで密出国を手助けする人に5人が1500ドルずつ払い、道すらないサハラ砂漠を走り続けたんだ」 車はひたすら砂漠を北上した。1週間の移動は3千キロ以上。ようやくアルジェリアに着いたが、今度は徒歩でモロッコを目指さなければならない。夜間に道すらない険しい山を進む。見つかると、命の保証はない。スマホの明かりも厳禁。夜中、絶望して「もう歩けない、俺をここに置いていってくれ」と細い声を絞り出す仲間もいた。 「モロッコで3カ月潜伏した後、ゴムボートで闇の中を海へ出た。(手引きされた)ほかの難民も一緒。70人くらい。ところが、洋上でエンジンが停止。海を漂い、死を覚悟した男が祈り始めたんだ。遺言みたいに」 その時の動画もアマールのスマホに保存されていた。赤十字に助けられ、スペイン南岸に上陸したときは、安堵で立ち上がれなかったという。