難民1億人時代――クラスメイトの難民たちが明かす逃避行と現在
最終的にはトルコ西岸からボートでギリシャのロドス島へ向かうことになったが、フェリアルは泳げない。ボートも見るからに貧弱だ。 「沈没が怖くて。だから2500ユーロ(約37万円)も払い、しっかりしたモーター付きのボートで密航することに。……ごめんなさい、記憶がぼんやりしてて。確か、午前3時頃までボートに隠れていて……」 早朝、海に落ちそうなほど多数の難民を乗せたボートは出発した。島に上陸すると、ブローカーに頼んで偽の身分証明書を入手。今度は大型船でアテネへ向かった。
「アテネでも頼りはブローカー。ブルガリアの偽パスポートを作ってもらった。アテネからは大型トラックのコンテナに隠れて、オーストリアまで4日間。スイスを通過したことだけは覚えているんだけど……」 同じコンテナには20人ほどの不法入国者がいたという。欧州では今も、こうした不法入国者がトラック内で何人も死んだというニュースが流れる。
冬にシリアを出てから春、そして夏。長い逃避行の末にたどり着いたオランダでは、2カ月後に難民としての滞在許可が下りた。あれから5年余り。私の目の前にいるフェリアルは、そんな壮絶な経験の持ち主とは思えないほど穏やかだ。 「クルド民族には国がない。シリアでもトルコでも自由がない。でもオランダは違う。原則と法律をきちんと守る人々がいて、民主的で安全。満足な暮らしができる」 経済的な動機で自主的に国境を越える「移民」と、戦火や迫害を逃れて故国を脱出せざるを得なくなった「難民」は、性質が大きく異なる。その難民のリアルを語ってくれたフェリアルは最後、こう言った。 「でも、私は難民の特別なケースじゃないから。難民なら誰でも、それぞれ悲しい物語を持っているんだから」
一人ひとりのリアル 消えない“国家”への恐怖
アーネム市の語学教室で学ぶ生徒たちの出身国はイラク、イラン、トルコ、エチオピア、ペルー、中国などさまざまだ。戦火ではなく宗教迫害から逃れてきた人もいる。 パキスタン出身のアデルもそうだ。28歳。もともとはイスラム教の宗派だった「アフマディーヤ教」の家に生まれた。自身も敬虔な信者だが、イスラムを国教とするパキスタンでは、教義の違いなどからアフマディーヤ教は1984年に非合法化。1940年代頃から続く差別や迫害に拍車がかかった。 「モスクの建立も認められないんだ。墓地やモスクも破壊される。信者も襲撃されて……もう、パキスタンでは生きていけない」