老舗帽子メーカーが、がん患者向けの帽子を開発した理由:CHANVRE MAKI(シャンヴル マキ)
東京都台東区に、100年以上にわたり帽子の製造を続けている企業がある。「株式会社サトー」だ。 同社の4代目 代表取締役を務める佐藤さんは、これまでの歴史を受け継ぎながらも、がん患者向けの帽子ブランド「CHANVRE MAKI(シャンヴル マキ)」の展開にも力を入れている。 同社が自社ブランドを展開するのは、今回が初めてのこと。また、ブランドの立ち上げを決意した直後、佐藤さん自身も舌がんを患った。その経験が、本ブランドづくりに大きな影響を与えたそうだ。 今回は、同社のあゆみをはじめ、「CHANVRE MAKI」の立ち上げの背景や帽子のこだわりについて話を聞いた。
家業も自社ブランドも、きっかけは「誰かのために」
ーまず、御社の創業の経緯を教えてください。 弊社は、私の曽祖父が1912年に創業しました。曽祖父は山梨の出身で、もともとは銀行に勤めたり、いろいろな物の取り引きを行っている方のもとで働いたりしていたそうですが、「自分で何か事業をしたい」と考えたのをきっかけに、東京に出て帽子製造の修行を始めたそうです。 明治の頃の写真を見ると、みなさん着物を着て帽子をかぶっていますよね。曽祖父はそれを見て、「これからはこういった服装がもっと流行るだろう」と目を付けて。「これなら輸入・輸出といろいろな可能性があるんじゃないか」と、メンズ帽子の製造をスタートしました。 2代目が祖父、3代目が父なのですが、その2人が一緒に仕事をしていた頃からレディースの需要がどんどん増えていきました。現在製造している帽子は、レディースが9割、メンズが1割ほどです。
ーどのような商品を作っているのでしょうか? OEM・ODM(委託者のブランドで製品を設計・生産すること)を中心とし、主に帽子専門店やアパレルブランド、百貨店などで販売する帽子の企画・製造をしています。一般的な帽子の他、がん患者の方向けのニット帽子などを製造することもあります。 ー佐藤様が入社されたのは2013年。もともと、家業を継ごうと思われていたのですか? いえ、私はもともと別の会社に勤めていましたし、両親も継いでもらおうという気持ちはなかったそうです。入社するまで、家でも帽子の話は一切していませんでした。 継ぐことを決めたきっかけは、父の体調不良と、東日本大震災の影響で弊社の福島県飯館工場がなくなったことです。“工場がなくなる=生産拠点がなくなる”ということで、「会社が危ないんじゃないか」と噂が立って。 また、取引先に「後継ぎがいないから何年続くか分からない」と思われてしまうと、弊社との商売を広げていこうと思ってもらえなくなってしまいますよね。 父の体調不良や工場がなくなったことで、取引先がどのように感じているのかを母から聞いたとき、「私しかやる人がいないんじゃないか」と思ったんです。 それまで勤めていた会社では、自分が行きたい部署に所属させてもらい、やりたい仕事をさせてもらっていたので、充実した日々を過ごしていました。でもそう思ってから、半年経たずに会社に辞表を出していました。