銅メダルの裏側にあったもの/松山英樹のコーチ・黒宮幹仁が語る2024年の歩み<前編>
2月「ジェネシス招待」、プレーオフシリーズ初戦「フェデックスセントジュード選手権」と昨季2勝を飾り、最後まで年間王者の可能性を持って戦った松山英樹。8月の「パリ五輪」では銅メダルも獲得した。そのサポート役としてフル帯同した黒宮幹仁コーチ(以下敬称略)は、松山とどのようなやり取りをしてきたのか。新シーズンを控えた年末に黒宮のもとを訪れ、一年を振り返ってもらった。全2回の前編。(取材・構成/服部謙二郎) 【画像】窪塚洋介にとってゴルフとは?
舞台裏にあった「メダルを獲るための準備」
オリンピックイヤーではあったものの、シーズン序盤は松山の口からオリンピックの“オの字”も出てこなかった。出場にあまり乗り気ではないのでは…と周囲は捉えていたが、フランスの舞台が近づくにつれ、黒宮は松山の変化に気付き始めていた。 初めて“それ”に気付いたのは、五輪が半月後に迫った「全英オープン」の練習場だった。「もちろん全英には集中していましたが」と前置きしつつ、「打撃レンジでオリンピックのコースで使いそうなショットをいろいろ試していたんです。プレッシャーがかかった時にこの技術は使える、使えないというのを取捨選択しながら練習していました」と当時を振り返った。
フランス入りしてからの松山は、目の色を変えて練習をした。「試合前週土曜日の朝7時から練習。練習ラウンドもハーフに3時間かけ、コースをくまなくチェック。日曜日も6時間かけての練習ラウンド。月曜日は約5時間練習。火曜、水曜にハーフずつ回って、その前後に1時間半近く練習。通常の試合だとそこまではやりません。本人は口には出さないですけど、『これは明らかにメダルを狙いにいっているな』って周りで話していました」 松山は初日、8アンダー単独首位と好スタートを切った。「金を狙う上では初日が勝負、って松山プロと話をしていました。どのみち(スコッティ・)シェフラー、ザンダー(・シャウフェレ)、ロリー(・マキロイ)、(ジョン・)ラームあたりが来るぞと話していましたし、実際に世界ランキング順に上位に食い込んで来ましたよね」 最終日、11アンダー4位からスタートした松山は「65」のスコアを出し、通算17アンダーの単独3位でフィニッシュ。途中まで金メダルも見える位置で戦っていたが、わずかに2打届かなかった。「普段の試合ではない『3位までに入りたい欲』がみな強かったので、意外とプレーオフになりづらいかなとは思っていました。銅メダルを狙っていても今回は優勝争いぐらいの負荷がかかっていたはずです。事実、絶好調に見えたラームが自ら落ちていったのには驚きましたが、彼もプレッシャーが相当かかっていたのだと思います」