【30年以上通い続けて感じること】亀山湖×川島 勉『ホームレイクその変化と不変』
1981年に完成した千葉県最大の多目的ダムは、いつしかリザーバーのレンタルボートフィッシングを確立し、牽引する存在となった。そんな亀山湖に30年以上前から通い続け、ローカルアングラーとして名を馳せた川島勉さん。今、湖に浮かび、自らのルーツを語る。 【画像】亀山湖×川島 勉
川島 勉(かわしま・つとむ)
亀山湖のローカルアングラーとしてメディアに出演。ジャッカル在籍時には躱マイキー、ポンパドール、シザーコームなどの名作を生み出す。2022年、美容師を廃業し、自らのブランド『BETOBETO』を設立した。1969年生まれ、君津市出身。
亀山湖と釣り人 ~競技の釣りへの違和感とスタイルの確立~
癒されて安心できて、それでいて新鮮な場所 小学5年生の頃、釣りが趣味の担任の先生に連れて行ってもらったのが亀山湖だった。すべてが初めての体験の中、友達が偶然エサで釣ったブラックバスに魅了された。 カッコイイ魚が釣れる場所。それが川島さんと亀山湖との最初の出会いだ。 以降、年に何度か足を運んではいたが、多くのバス釣り少年がそうだったように、ほかの遊びを覚えることで、バス釣りからは次第に離れるようになっていった。 さらにときは過ぎ、憧れの美容師になったが、大人の社会に揉まれて心を病んでしまう。そんなとき、テレビで見て思い出した湖を訪れ、手漕ぎボートに揺られながら古びたタックルで投げたワームに食いついたのが、56cm。 50アップすら幻と言われていた時代だった。 川島「癒されに来たつもりが、勘違いしちゃいますよね(笑)。でもそれで完全にハマりました」
競技の釣りへの違和感とスタイルの確立
その勢いのまま、釣りの大会やトーナメントにも参加はしたが、すぐに距離を取ることになる。 川島「自分がこれで釣れたら嬉しいっていう遊び方もできるわけじゃないですか。やりたいことをできるのが一番幸せなんで。釣りなんだから釣れなきゃダメじゃんって言われても、いや、釣れないのも釣りだぜっていう」 いまでこそしっかり言葉にできるが、当時は模索の過程。湖上に浮かび、自分の釣りと向き合う中で釣り具メーカーと繋がり、メディアにも名前が出るようになる。 亀山湖の川島勉。 家から近かったこともあるが、仕事柄まとまった休みが取りにくい中で亀山湖に通い込んだ一番の理由は人との繋がりだった。 川島「何も考えず、一人でひたすらルアーを投げて一日過ごせれば幸せだったときもあったんですけど、だんだんそうじゃなくなってきて、誰かと釣りに行って仕事以外の話をしながら遊ぶっていうのがしたいなって。まあ今は仕事なんですけど、根本はそれですね」 いまやひとつのブランドとなった「亀山」。それでも昔と変わらず通う理由はどこにあるのか。 川島「例えば最近バス釣りを解禁しましたみたいなところには、なるべく早く行きたいじゃないですか。でもまったく行ったことがなくて、しかも一人で行って誰も知り合いがいないと、ちょっと行きにくいなと思っちゃうんですよ。安心感がないんで。どこからボートを出そうかとか、それで行ったボート屋さんが、愛想のないぶっきらぼうなところだったら、その湖に良いイメージがなくなっちゃうみたいな。そういう失敗をしたくないし、ビビリというか、ダメージを受けたくないんでしょうね。安心したいから『原点』に帰ってきちゃうんじゃないですか」