「個室の大衆」から「モバイル個室」へ 街に溶け出す個室、ネットに溶け出す自我
アメリカのIT大手アップルが、複合現実(MR)ヘッドセット「ビジョンプロ」を発表しました。同社が公開したデモ映像を見る限り、仕事の仕方やエンターテインメントへの接し方が大きく変わる可能性がありそうです。 建築家で、文化論に関する多数の著書で知られる名古屋工業大学名誉教授・若山滋氏は、「情報技術によって、個室が街に『溶け出す』ような現象が起きている」と語ります。若山氏が独自の視点で語ります。
都市の安全とスマホ
東京の地下鉄ではほとんどの乗客がスマホを手にしている。 ウェブサイト、メール、マンガ、ゲーム。小さな画面に目をくぎづけにして指をけいれんするようにうごかす。 車内で立っている人もホームで電車を待っている人もスマホを手にし、乗るときも降りるときも目を離さず、急ぐ乗降客のじゃまになってもわれかんせず、だが、空いている席があれば、われ先に座る。 海外によく行く友人によると、これだけ多くの人が街中でスマホに没頭しているのは、きわめて日本的な光景だという。外国でそんなことをしたら危険なのだ。襲われても、何か盗られても、事故にあっても文句はいえない。日本は街全体、もっといえば国全体の治安がいいので、スマホを見ながら平然と街を歩く人が多いのである。 日本とアメリカは、都市に城壁の概念がないことで共通しているのだが、他の国の都市は歴史的に城壁に囲まれていて、その内部は、外敵に対する安全が保障される空間であった。しかし近年はどこの国の都市も、犯罪という内部の敵におびやかされる。その意味で、日本の都市は、歩きスマホができるほど安全であり、理想の都市文明ともいえるのだが、この光景はどうだろうか。やや過剰な気がしないでもない。やがてはゴーグル型の端末をつけた人が街にあふれるのであろうか。 この欄で何度か、スマホと人格について触れたが、ここで問題にしたいのは、都市における個室という居住空間とメディアおよび情報技術との関係である。