「病院」の地図記号の始まりをたどる。明治時代から戦後にかけて、記号はどのように変化したのか
◆陸軍衛生隊のワッペン―病院 地形図に避病院の記号が定められたのは「明治33年図式」からだが、その前に「病院」の記号の始まりを調べてみよう。 まずは日本初の地形図である関東地方の2万分の1「迅速測図」(明治13年から整備)。この図に病院の記号はないが、その次に関西地方で着手された2万分の1仮製地形図には登場する。 明治17年(1884)から刊行が始まったシリーズで、この図の「仮製図式」に用いられた平たいワッペン形に横一文字の病院記号は、日本赤十字社のルーツとされる博愛社が「日章の下に赤線1本」を標章としたことに由来するらしい。 博愛社は日本がジュネーヴ条約に調印した翌年の明治20年(1887)に「日本赤十字社」と改称し、世界共通の赤十字マークを使い始めた。 これに伴って地形図でも明治24年図式では輪郭による十字形(墨の輪郭による白十字)を採用している(図1)。 こちらは一部地域の2万分の1地形図のみに終わったが、その後の同28年図式で登場したのが現在と同じ記号だ(下イラスト)。 ワッペン形に十字のお馴染みのスタイルで、地図が墨1色刷なので赤十字ではなく墨十字。ワッペン形は『地図記号のうつりかわり』によれば「旧陸軍の衛生隊符号」に由来する。 これが現在も病院記号として用いられているものだが、もちろん町医者から大病院まですべてカバーしているわけではない。 このため平成14年図式では「公的機関又は法人が開設する病院をいい、個人病院及び診療所には適用しない」としており、但し書きとして「医療施設が少ない地域においては、診療所等」と定めていた。 しかし現在の最新版地形図が採用する「平成25年図式(表示基準)」では表現がガラリと変わり、「救急病院等を定める省令(昭和39年厚生省令第8号)第2条第1項に基づき告示された救急病院及び救急診療所を表示する」となっている。 地形図のデジタル化でハザードマップなど各種の防災関連地図などに用いられる今、明確な基準が必要になったのだろう。