「病院」の地図記号の始まりをたどる。明治時代から戦後にかけて、記号はどのように変化したのか
◆陸海軍の記号 戦前の図式では、ある記号に添えて表示する記号があった。古くは「採礦地」の記号に「石炭」や「亜鉛」などの記号を組み合わせるもので、これにより炭鉱や亜鉛鉱山を表していたのだが、病院に組み合わせるものとしては陸海軍の記号があった。 M印が「陸軍所轄」、二重M印が「海軍所轄」というもので、これと病院記号が併置されていれば「陸軍病院」「海軍病院」を意味していた。 戦前の熱海(静岡県)の地形図で見つけたのは、さらに温泉を加えた三つの記号が同居したもの(図4)で、これは温泉療養のために設置された東京第一衛戍(えいじゅ)病院熱海分院であった。 陸海軍の療養所は全国50ヵ所(内訳は結核36、精神3、脊髄1、温泉10)にのぼり、戦後は軍の解体に伴って国立療養所に転じた。 この療養所は現在では国際医療福祉大学熱海病院となっており、当然ながら病院記号が1つだけである。 修羅場をくぐり抜けて傷ついた兵士たちは、ここで相模灘を眺めつつ何を想っていただろうか。 ※本稿は、『地図記号のひみつ』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。
今尾恵介