給与や待遇はすべて日本人スタッフと同じ--「彼らとやっていく以外に、飲食なんて成り立たない」、吉祥寺・ハモニカ横丁の今#昭和98年
それでも手塚さんが厳しく怒ることはあまりない。外国人が貴重な戦力だからということ以上に、一人ひとりを観察し、彼らとの付き合い方を模索しているようにも見える。 「大学がICU(国際基督教大学)だったから、欧米の学生もたくさんいてね。接しているうちに、世界中みんな同じなんだって思うようになった。でも、10年ほど前から増えてきた子たちは違うんだよね」 途上国から働きに来た人々。習慣や感じ方がずいぶんと異なる。良くも悪くもおおらかだ。一生懸命に働いているようには見えるが言葉の問題もあって本質はなかなかわからないし、どこか日本人を信じていないようにも感じる。 「だから、一緒にやるぞ、なにかあったら必ず面倒を見るぞって過剰なまでに発信しないと、信用されないのかなって思う」
手塚さんは毎夜ハモニカ横丁を飲み歩き、外国人のスタッフに声をかけ、見守る。給与や待遇はすべて日本人スタッフと同じだ。帰郷のため年に3週間、まとまった休みも取れる。 「でも中には、1か月たっても帰ってこないやつがいる」 なんて苦笑する。産休も取れるし、赤ちゃんを抱いてミーティングに参加する人もいる。社会保険もある。ごく普通のように思うが、この国ではそんな当たり前の労働環境を得られていない外国人はけっこう多いのだ。
「一生懸命に働くやつが、やりやすいように店をつくっていこうとは考えてるよね」 こうしておよそ10年、外国人たちと向き合ってきた。 少しだけ手ごたえを感じ始めたのはコロナ禍のときだ。すべての店を閉め、横丁は閑散となった。 「給料はいらないからがんばろう、乗り切ろうって言ってくれたのは、日本人よりもむしろ外国人だった。それからは、割合いろんなことを話してくれるようになったかな」 とはいえ、まだまだ足りない、彼らをカバーできることはあるのだと手塚さんは言う。 「外国人と働くようになって、いま10年。さらにあと10年続けて、やっと信頼みたいなものを得られるんじゃないかな。それが僕の仕事だと思ってる」