給与や待遇はすべて日本人スタッフと同じ--「彼らとやっていく以外に、飲食なんて成り立たない」、吉祥寺・ハモニカ横丁の今#昭和98年
「お隣は50年やってる餃子屋さんで中国の方がいて、向かいの焼きとんの店でもミャンマーの方が働いていて」 ご近所さんとはすっかり仲良しだ。彼女の笑顔を見に来る常連客も多い。手塚さんも「ココナッツ」の前を通り過ぎるときには、なっちゃんに手を上げていく。 「ハモニカ横丁はいろんな店があって、わくわくする場所ですよね」 そう話すなっちゃんが高校生のときだ。日本人の父とタイ人の母が横丁に店を開いた。駅に近いだけあって家賃の高さに父は躊躇したが、VICグループの進出もあって賑わうようになっていた横丁を見て「いい場所だな」と思った母が思い切って契約書にサインをした。 しかし5年ほど前のことだ。父が体調を崩し、母ひとりで店を回すのがしんどくなった。だからなっちゃんは就職していた会社を辞めて、横丁にやってきた。 「それからどんどん、ほかの店でも外国人のスタッフが増えはじめましたよね」
なっちゃんは彼らと気さくに言葉を交わす。着なくなった服をサビナさんの子どもたちにプレゼントすることもある。横丁の近所づきあいなのだ。それはアルジュンさんも同じで、隣の着物屋の日本人とも親しげに挨拶しあう。仕事を終えた商店街の日本人がアルジュンさんやなっちゃんと話そうと飲みに来る。 こんな横丁にギターを手にし、夜ごと訪れる「流し」の歌うたいトモクロウさんも外国人の店員たちにはすっかり知られた存在だ。 「仕事の合間にさりげなく歌を聞いてくれたり、良かったよって褒めてくれたり。たまにこっそり一杯おごってくれたり(笑)。ここは流しやすい、受け入れてもらいやすい街ですよね」 なっちゃんが言う。 「就職活動してたとき、外国籍だからと落とされることが多かったんです」 でもハモニカ横丁は違うのだ。誰でもなじめる空気がある。大切な居場所となったこの街でずっと店をやっていきたいと、彼女は思っている。
日本人も外国人も待遇は同じ、コロナ禍で得た手応え
毎週月曜11時、VIC本社で行われるミーティングには各店舗の責任者たちが日本人も外国人もなく参加する。 「ラムのローストが思ったほど出ないですね」 「かなりお客さんが増えていて手が足りません。人を回してもらえないでしょうか」 互いにその週の出来事や気が付いたことなどを報告し合う。もちろん日本語で、だ。 日本人のスタッフからはお灸も据えられた。 「お客さまからクレームがありました。店員にワインをこぼされてクリーニング代をもらったけれど、洗濯に出しても汚れが落ちなかったそうです。だから電話をしたところ日本語がわからないのか、切られたと」 気まずい空気が流れる。改めてトラブルの際の対応や、保険会社とのやりとりの説明があり、「何度も配ってますが」とお酒をこぼしたときのマニュアルが全員に手渡される。