大怪我から5年…パラアスリートとして蘇り50歳の最年長金メダリストとなった女性サイクリスト杉浦佳子を勇気づけた言葉とは?
前回リオ大会が開催された2016年夏の杉浦は失意のどん底にいた。東京パラリンピックを自転車で目指すうんぬんの状態ではなかった。 静岡県掛川市で生まれ育った杉浦は、北里大学薬学部卒業後は薬剤師として勤務。運動好きの趣味が高じて30代からトライアスロンを始めたが、なかでも自転車の実力が認められるまでになった。実業団チームから誘われ、本格的な大会に挑んでみようと思い立った。 2016年4月。静岡・修善寺で開催されたロードレースに初挑戦した当時45歳の杉浦は落車するアクシデントに見舞われる。脳挫傷と外傷性くも膜下出血に加えて、頭蓋骨や鎖骨、肋骨、肩甲骨を粉砕骨折し、三半規管も損傷する大けがを負った。 容態こそ懸命の治療で乗り切ったものの、アスリートとしては「復帰できない」と宣告された。記憶や注意力など認知機能に障害が出る高次脳機能障害と右半身の麻痺が残った。 事故を起こした瞬間を「おそらく前輪がロックして、前へ飛んでしまった」と振り返る杉浦は笑顔でこう続ける。 「脳の左が壊れてしまっているので、最初のころは言われたことも10分ぐらいで忘れていたらしくて、主治医にも『はじめまして』と毎日あいさつしていました」 家族や友人の顔や名前だけでなく、漢字すらも忘れてしまった杉浦は大好きな小説も読めなくなった。 「パラサイクリングがある」ことを知人から教えられ、次第に魅せられていったのは厳しいリハビリの最中だった。 周囲からかけられた言葉が、前を向く希望へと変わった。 「私のデータとかを見てくれた方が『これ、伸びしろしかないよ』と言ってくれて」 パラサイクリング選手として初めて登録された2017年に、ロード世界選手権のタイムトライアルでいきなり優勝。 翌2018年のパラサイクリング・ロード世界選手権のロードレース女子(C2)でも優勝し、一躍、注目される存在になった。 いまも残る高次脳機能障害と闘うために、日記に文字をしたためるようにしている。文字として残す効果を、杉浦は笑顔を輝かせながらこう語る。 「忘れてしまうことが絶対にないように、という思いが強くて。ちょうど1年前はこうだったと思い出せることが一番嬉しくて。毎日がリハビリです」