初の女性選手抜擢も…2大会連続銅メダル獲得の車いすラグビー代表が伝えたもの…「金メダル以上に輝けた」
5年もの歳月をかけて目指してきた、パラリンピックの頂点には手が届かなかった。それでも、銅メダルを獲得するまでの過程は金色を超える輝きを放っていた。 東京パラリンピック第6日目の29日に、東京・国立代々木競技場で行われた車いすラグビーのメダル決定戦。世界ランク3位の日本は3位決定戦で同1位の豪州に60-52で快勝して、前回のリオ大会に続く銅メダルを獲得した。 続けて行われた決勝では、準決勝で日本を下した同4位のイギリスが同2位のアメリカを54-49で撃破。悲願の金メダルを獲得するとともに、車いすラグビーがパラリンピックの正式競技になった2000年シドニー大会以降で初めて表彰台に立った。
パラ3連覇狙った豪州を破り銅メダル
ボールを受けたキャプテンの池透暢(41・日興アセットマネジメント)が、パスを選択せずにキープする。残り4.7秒から再開された最後の第4ピリオドは、直後から場内に響いたカウントダウンとともに、日本が8点差をつけたままフィナーレを迎えた。 熱戦の余韻が残るコートの中央では池と、5大会連続でパラリンピックを戦ったチーム最年長、島川慎一(46・バークレイズ証券)が抱き合いながら喜んでいる。ただ、心の底から感情を爆発させるような、会心の笑顔ではなかった。 「素直に喜べない、正直な気持ちはあります」 チーム最多の23得点をあげたエース、池崎大輔(43・三菱商事)は2大会連続の銅メダル獲得が決まる瞬間をベンチで見届けた後に、偽らざる心境を言葉に変えた。 「目指してきた場所は金メダルでしたけど、いま現在の日本チームとして、3位か4位のどちらを取るのかと言われれば銅メダル。メダルなしで帰るよりも、チームとしてすごくいい結果につながったという意味では、僕たちは今日のコートでしっかりと、金メダル以上に輝けた。ここまで支えてくれた、たくさんの人たちに感謝したい」 心の強さが問われる一戦だった。序盤のミスが響き、強度の高いイギリスの堅守を崩せないまま49-55で屈した前日の準決勝で、前回リオ大会後からチームに関わる全員で共有してきた、パラリンピックの金メダルを手にする夢を打ち砕かれた。 「5年間の努力が足りなかったのか。それとも、まだまだ力が足りなかったのか。情けないと思うと、涙が止まらなかった」 イギリス戦後に池崎はこう声を振り絞った。しかし、置かれた状況は豪州も同じだった。準決勝でアメリカに42-49で屈し、パラリンピック3連覇を断たれた。 だが、日本にとっては追い風となるアクシデントがあった。豪州のローポインターと呼ばれる持ち点「0.5」のキープレーヤーのマイケル・オザンヌが体調不良で欠場を余儀なくされたのだ。 車いすラグビー競技では障害の程度によって、各選手に「0.5」から「3.5」まで、重い方から0.5点刻みで持ち点が与えられる。その上で、コートで同時にプレーする1チーム4選手の持ち点合計が「8.0」までに制限される。女子選手が入れば合計点は「8.5」に拡大するのだが、オザンヌが抜けたことで、ハイポインターと呼ばれる「3.5」の豪州の二枚看板、ライリー・バット、クリス・ボンドが同時にプレーできない状況が生まれたのである。 どちらか一枚でも、ワールドクラスの存在には変わりはなく、豪州も世界ランク1位のプライドをかけて傷心を意地と執念に変えて臨んでくる。油断も含めた気持ちの切り替えが日本にとって重要なポイントになっていた。