なぜ14歳の山田美幸が女子100m背泳ぎ(S2)でパラ五輪第1号&史上最年少の“メモリアル”銀メダルを獲得することができたのか…「河童になりましたと(天国の)父に伝えたい」
天真爛漫な笑顔がトレードマークの少女が、日本のパラリンピックで紡がれてきた歴史を塗り替えるニューヒロインになった。 各競技が本格的にスタートした東京パラリンピック2日目の25日に、東京アクアティクスセンターで行われた女子100m背泳ぎ(運動機能障害S2)決勝。日本選手団全体で最年少となる14歳の山田美幸(WS新潟)が、2分26秒18で銀メダルを獲得した。 今大会における日本選手団の第1号メダリストになった山田は、1984年ニューヨーク大会の陸上男子100m(視覚障害)銅メダリストの嶋津良範、1998年長野冬季大会のクロスカントリー男子5kmクラシカル(知的障害)銀メダリストの安彦諭のともに16歳を上回り、夏冬パラリンピックを通じて日本選手で最年少のメダリストになった。 レースは前回リオデジャネイロ大会の金メダリストで、世界記録保持者のイップ・ピンシウ(29・シンガポール)が2分16秒61で制し、パラリンピック連覇を達成した。
クレバーなレース戦略
プレッシャーを力に変えた山田が、スタートから勢いよく飛び出した。軽快なリズムを刻みながら、前半途中までトップをキープ。ターン直前に世界記録保持者の女王ピンシウにかわされ、後半にはリードを広げられながら3位以下の追随も許さなかった。 午前中の予選を全体の3位で通過しながら、山田は初めて経験するプレッシャーとも戦っていた。予選スタート前に入水するや、水の冷たさも手伝ってブルブルと震えた。夕方の決勝ではどうなるのか。脳裏をかすめた不安を究極のプラス思考で好転させた。 「予選であれだけ緊張したので、決勝でも『これ以上、緊張するのは間違いなし』と思って開き直りました。形だけでも笑顔で楽しんでいこう、と思いました」 開き直ると同時に、野田文江コーチから何度も言われてきたアドバイスも思い出した。ストロークをゆっくりと――。初めて臨むパラリンピックの大舞台で自分の泳ぎに徹し続けた山田は、前半をトップで引っ張ったレース展開すら知らなかった。 「予選の結果が全体の3位で、本当に銀メダルを取れるとは思っていなかったのですごく嬉しい。コーチのアドバイス通りに、できるだけゆっくりと冷静に頑張りました。多分、いままでで一番頭を使ったレースになりました」 生まれつき両腕がない山田は、左右の長さが異なる両脚で打たれる力強いキックを推進力に変えて、両肩を巧みに回転させながら姿勢と進んでいく方向を保つ。キックで量よりも質を追求してきた過程で、ゆっくりとしたストロークが刻まれるようになった。