「生存率64%をくぐり抜けたいま、私の幸福度は40代よりはるかに上がっています」46歳で乳がんと子宮頸がんⅢCに同時にり患した52歳ラジオパーソナリティが腹の底から笑顔でそう答えるたった納得の理由
専門病院は「世界が違う」。ここで初めて、私はまだ闘病できると思えた
「専門病院にはがん患者しか来院しないからでしょうか、先生がたがどなたもとても優しく、またそこでも泣いてしまって……」 そう佳江さんは振り返ります。今回は絶望と怒りの涙ではなく、前向きな、私はまだだれかと一緒に未来を作れるかもしれないと感じる涙でした。 「ステージの進んだがんの宣告を受けて自分の命の終わりを意識し、いろいろなことで傷ついて揺れ動き続けている私たちがん患者の扱い方を、専門家はよくご存じなのですね。同じお医者様でもこんなに違うとはと、驚くばかりでした」 ところが、精密検査を受け直したところ、こんどは「ステージはⅢB」ですと冷静に告げられてしまいます。 「子宮頸がんステージⅢの5年生存率は64%。つい先日まで私は1B、生存率99%の乳がん患者だったのに。これは詰んだ、さすがの私も終わったと、せっかく見えた光明なのにまた目の前が冷たく暗くなりました」 しかし、そんな佳江さんはすでに大きな心境の変化を迎えていました。有明病院はすべてが手厚く、がんだけに向き合っている放射線の先生が10人ほどいる体制。中には婦人科に強い放射線の先生もいらっしゃいます。これまでの病院では放射線は全科で3~5人でした。 「条件が違いすぎるので、比較に意味はないのでしょうが……。がん研有明病院は全国から重い病状の患者さんも集まる場所で、先生がたもいろいろ乗り越えていらしているのでしょう。また、早くに世を去った父が最後に入院した病院でもあり、そんな親近感も加わって、私の気持ちと病状、両方を受け止めてもらえる実感がありました」 放射線の先生とお話をした日の最後、検査結果を見た先生は「よし!がんばるぞ!という気持ちです!」と笑顔を見せました。なんだか少しだけ明るい未来が見えた気になった、と佳江さん。 「先生に『一緒に頑張りましょう!』と言っていただいて、まだ頑張れるかもしれないと感じて。『どうしますか』と確認されて、『こちらに入院したいです』と即決、でもまずは元の病院で乳がんの放射線を完了させてから入院してくださいとのこと。それに従いました」 ここまでのお話では、佳江さんが本格的な闘病に「向き合う」までの経緯を伺いました。続くお話ではいざ闘病を始めて起きた想定をはるかに超える「苦難」を教えてもらいます。
オトナサローネ編集部 井一美穂