森氏の発言に考える 女性尊重の文化をもちながら、女性の社会進出を阻む日本
女性神から始まる国
日本文化史の原典ともいうべき『古事記』『日本書紀』における神話の主役は、いうまでもなく「アマテラス(天照大神、天照大御神)」という女性神である。あまねく世界を照らす太陽神であり、高天原を統括する主神であり、皇室の祖神ともされている。スサノオ(素戔嗚)という乱暴者の弟がいるが、この姉と弟が日本の女性と男性の性格の原型をなすともいえる。つまり日本社会では、いかにもヤンチャな弟のような男性が上位に立つように見えながら、実のところは賢くて優しい姉のような女性が世の中を上手に運営していることが多いのだ。 たとえばギリシャ神話の主神ゼウスは男性神であり、西洋における神のイメージの原型となっている。またキリスト教のイエス、イスラム教のマホメッド、仏教の釈迦、儒教の孔子など、世界的な宗教の、神格を帯びた祖師たちはことごとく男性である。もちろん世界には女性神も多くそれを崇拝している社会もあるが、日本はそもそもの創世神話において、女性神の国として出発したという文化的特徴があるのだ。 仏教において、あまねく世間の苦を救うとされる観音菩薩は、もとは男性神であったというが、中国、日本では慈悲深い女性として現れる。天草や五島などの隠れキリシタンにおいては、この観音信仰がマリア信仰とつうじている。また、子を想う母親の情を神格化した鬼子母神も、日本人の親子の情に同調して人気がある。 こうしたことを考えれば、日本は、女性蔑視どころか女性崇拝的な文化をもつ国だといえるのだ。
日本社会の底に流れる女性尊重の文化
古代、中国文化の影響を強く受けた時代から、一転して日本的な文化が発達したのは、菅原道真が遣唐使を廃止して以後、いわゆる国風文化の時代である。「仮名」という日本製アルファベット(音標文字)が発明されたことが大きかったが、これは女性の文字とされたのだ。 そこに王朝文化における女性文学の花が咲いた。清少納言の『枕草子』、紫式部の『源氏物語』といった、世界にも類例を見ないレベルの随筆と長編小説が登場したのは、日本文化のもっとも誇るべきところである。遅れていたどころか、日本は世界でもいち早く女性文化が成熟した国なのだ。明治以後も、樋口一葉や与謝野晶子から美智子上皇后に至るまで、文学(特に短歌という日本文化の正統)において、女性がその高峰をきわめていることはいうまでもない。 中世は「武の論理」と「家の論理」で構成された封建社会であったから、他の多くの国と同様「男系」が表向きの社会秩序を形成したが、戦場で失敗すれば命を落とすのであるから、男尊といってもあまりいいものではなかっただろう。 日本文化論の古典ともいうべき『菊と刀』において、ルース・ベネディクトは次のように述べている。「日本の婦人は他の大部分のアジア諸国に比べれば大きな自由をもっている」「日本では妻が一家の買い物をし、一家の財布を預かっている」「婦人は召使いを指揮し、子供たちの結婚に当たって大きな発言権をもっている…姑になると…断固たる態度で家庭内の一切の事務をきり回す」(長谷川松治訳・現代教養文庫)これは戦前までの伝統的な日本社会についての分析である。日本は本来、女性尊重の国ではないか。逆に見れば、家の内の女性の立場がきわめて重要なものであったことが、外に出て働くことを控えさせていたのかもしれない。 そう考えると、問題は、近代的都市化の過程で、特に最近の工業社会から情報社会への変化の中で、他の国ほどには女性の社会進出が進んでいないという現象ではないか。