尚弥がいなかったらボクシングすらやっていない──世界王者・井上拓真が明かす「歯がゆかった日々」 #ニュースその後
ボクシングを見つめ直したプロ初黒星
試合を重ねてさらに経験値を上げて、2018年12月にはWBC世界バンタム級暫定王者に。しかしノルディーヌ・ウバーリとの初防衛戦を0-3判定負けで落とし、プロ初黒星を喫してしまう。 ショックに打ちひしがれたっておかしくない。しかし彼はメーンのWBSSバンタム級トーナメント決勝でノニト・ドネアと対戦する尚弥に対して「ごめん、負けた」と詫びてからすぐにサポート側に回っている。自分を客観視できる拓真らしい行動でもある。 「いい形でバトンをつなげなくて、良くない雰囲気のまま送り出したくはなかったんです。ただ自分の試合については帰りの車のなかで、いろんなことを考えさせられました。このままじゃダメだってはっきり思いましたから。これまではナオと同じ練習量をやっていればいい、と。でもそれじゃ足りない。対戦相手をイメージしつつ、勝つためにはどこを直さなきゃいけないか、どんなことをやらなきゃいけないかって。よりボクシングを考えながら練習に取り組むようにしました」 自分というものが抜け落ちていた。 前を行く兄や指導を受ける父についていくだけじゃ「自分」はつくれない。己のボクシングを追求し、もっと見つめ直さなきゃいけないと感じた。 パンチのフォーム一つを取っても下半身の力を吸い上げて打つことができているか、細かいところまでチェックするようになった。対戦相手を想定し、ラウンドごとにどんな戦いになるかイメージしつつ、単に「ボクシングをする」から「ボクシングを考える」に移行していくと、戦い方や考え方の幅が広がっていく感覚を持つことができた。
井上拓真という「唯一無二」の存在へ
回り道を近道とする。 世界王座から陥落した後、栗原慶太、和氣慎吾、古橋岳也といった実力者を次々に下して再び世界挑戦のポールポジションに就く。そして迎えた昨年4月、リボリオ・ソリスに判定勝ちして兄が持っていたWBAタイトルをついに手にした。 とはいえ世界王座はあくまで自己変革の入り口に過ぎない。成果として明確に表れたのが、あのアンカハス戦だったのだ。我慢強く、粘り強く、コツコツと積み上げてきた彼の半生がシンクロした。 試合のたびに入場曲として流すAK-69の「ONE」に、歯を食いしばって奮い立たせてきた自分を重ね合わせていた。 「“尚弥の弟”っていうだけで、自分の色とかなかった。そういう歯がゆさに、いら立ちというか。そういうところも『ONE』は心に響きました。(プロキャリアの)最初のほうはスパーリングでも思うようにできなくて、それがずっともどかしくて。父にも怒られ続けて、正直、練習が嫌になっていた時期もありましたよ。でもようやくここにきてボクシングがすごく楽しくなっていると感じます」 自分というものが見えてきたからこその境地であることは言うまでもない。