尚弥がいなかったらボクシングすらやっていない──世界王者・井上拓真が明かす「歯がゆかった日々」 #ニュースその後
父の目を盗んで兄と練習をサボった幼少期
拓真は井上家の次男として1995年のクリスマスの翌日に生を受けた。塗装業で独立して会社を興した父はそのころにボクシングを始め、アマチュアで2戦2勝。長男・尚弥にせがまれてボクシングを手ほどきするようになると、園児だった拓真がサンドバッグをたたき始めるのも自然な流れであった。 「物心ついたときからナオにくっついて、見よう見まねで遊び感覚でやっていた感じですかね」 小学生になると練習も本格的になっていく。登校前の早朝ロードワークは睡魔と闘いながら雨の日も風の日も走った。父の目を盗んで兄と一緒に途中でサボり、見つかって大目玉を食らったのは一度や二度ではない。兄弟はいつも一蓮托生だった。 つらいけど、嫌じゃない。小4のときに初めて出場したキッズスパーリング大会で「勝ってボクシングでしか味わえない喜びを感じた」。それでも友達と遊んでいるときは途中で切り上げなければならず、後ろ髪を引かれた。 「ナオがいなかったらボクシングすらやっていなかった。一緒に練習に行くナオがいてくれたから」学校に通うことと同じようにボクシングを日常にできた。 小学生のころ、父にこっぴどく叱られたことがある。ロードワークで走った距離を正直に伝えたものの、信用してもらえずにすさまじい剣幕で怒られた。 「走った距離をちゃんと伝えたんです。でもモジモジしたしゃべり方だったので、父からすれば自分の態度を見てウソをついているって思ったんでしょうね。何よりウソが嫌いな人なので」 普通なら反発したっておかしくないシチュエーション。しかし子どもながらに父の性格は分かっていたつもりだし、後になって父も理解してくれた。感情的にならず、我慢強い拓真の性格がうかがえるエピソードでもある。
どうしても兄と比べてしまう自分もいて
脇目も振らず、ボクシング漬けの日々――。 兄に負けず劣らず中学のころからアマチュアボクシングで活躍し、高校1年生でインターハイ(ピン級)を制覇。3年生の尚弥と兄弟優勝を果たしたことで注目を集めた。そして一足先にプロの世界に飛び込んだ尚弥を追いかけるように、高校卒業を待たず大橋ジムの門をたたく。 2013年12月にいきなり日本ランカーと対戦して判定勝利でプロデビューを飾ると、4カ月後のプロ第2戦では世界ランカーを同じく判定で、そして5戦目で東洋太平洋スーパーフライ級王座を獲得する。次々に強者とマッチメークされながらも、期待に応えていった。それでも自分のボクシングに満足感などなかった。 「判定が多かったし、自分がプロ2戦目のときにナオが初めて世界挑戦して、それもTKOで取っているわけですからすごいなっていうのを感じ始めていました。どうしても兄と比べてしまう自分もいて……。東洋太平洋を取ってからはプロとして倒すところを見せないといけないとか、そういう考えにもなっていましたから」 派手さはなくとも我慢強く、冷静に勝ち筋を探り当てる拓真のボクシングには、兄とはまた違う味があった。 地元の座間で行った難敵のフローイラン・サルダール戦では初回にダウンを奪われながらも持ち直し、終盤に2度のダウンを奪って3-0判定で勝利している。一方、拳の負傷明けに戦った元日本王者・久高寛之との次戦は最終10回、ポイントアウトを狙わないであえて打ち合いに応じる一面も見せている。 「久高選手との試合もよく覚えています。リング中央で“来いよ”ってやられて、行ってやろうじゃねえかって(笑)。でも100%とは言えないまでも打ち合っても絶対に負けないって思っていましたし、そこも冷静ではありました」