将来の夢を「スポーツ選手」と書くのが嫌だった──ラグビー元日本代表・山田章仁38歳が現役を続ける理由
19年のワールドカップで掲げた「グローカル」という視点
山田は幼少期から、「世界」を意識していた。 「グローバルな世界で活躍する人間になりたい、と思っていました。年の離れた姉がふたりいるのですが、彼女たちを通して英語を学ぶ大切さを知り、しっかり勉強してきた。幼少期にホームステイしたときには、世界って広いんだなとか、自分のちっぽけさに気づかされたりもしました。小さい頃からの夢がようやくかなったのが15年のワールドカップだったので、『トライできた!』ではなく、もっと大きなものとして僕のなかでは存在しています」 ジャパンの一員として高みをめざす過程でも、つねに世界を意識してきた。生まれながらに視座が高いのだ。 「ジャパンもビジネスの世界みたいに、グループディスカッションをするんです。15年から19年のワールドカップへのプロセスでは、『どうやったら世界で勝てるか』を話し合っていったのですが、ハードなトレーニングをするとか強豪相手に強いマインドで挑むとかは、言ってみれば当たり前です。そこで、僕らのグループはグローバルとローカルを大切にしようと。それをグローカルと呼んで、自国開催の19年のワールドカップで日本らしさを発信していこう、と考えました」
素晴らしい視点だろう。ところが、当初は受け入れられなかった。 「でも、1年後ぐらいにはチームが掲げるテーマのひとつになりました。実際に19年のワールドカップが始まると、日本が試合後に整列をして観客に一礼するのを見て、同じことをするチームが出てきたんです。それは日本が示した成果のひとつでしょう」 世界各国から来日したファンは、試合前からスタジアム周辺に集まり、飲んで、食べて、歌った。ワールドカップはたくさんの笑顔を生み、国境を超えた友情が育まれた。 「日本のスポーツを取り巻く環境に、ワールドカップはすごくいいメッセージになったと思います。欧米のまねをするのではなく、自分たちが楽しめる空間を作り出せば、そこに来る外国の方々も自然と楽しんでくれる。僕自身もそうですが、日本人は正解を求める気質がありますよね。『これは合ってるかな』と気にしがちですが、ワールドカップのようなイベントは『自分がやることが正解だ』というマインドで、応援するみなさんも楽しんでいけばいいと思うんです」