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アントニオ猪木元参院議員、国会議員としての活動と功績は

大濱崎卓真選挙コンサルタント・政治アナリスト
アントニオ猪木元参議院議員(写真:つのだよしお/アフロ)

 アントニオ猪木氏が亡くなられた。プロレスラーとして知られるアントニオ猪木氏だが、政界ではいわゆる「プロレスラー議員」の嚆矢であり、また破天荒なことでも知られる議員であった。スポーツ平和党としての活動や北朝鮮とのパイプなど「スポーツ交流を通じて世界平和を」という独自の政治理念による行動も含めて振り返りたい。

国会議員としてのスタートは「スポーツ平和党」

 アントニオ猪木氏といえば、プロレスラー。誰もが知っているプロレスラー・アントニオ猪木氏は、もう一つ、参議院議員を2期務めた政治家としての顔もある。国会議員の「プロレス枠」と言えば、馳浩元衆議院議員(現・石川県知事)をはじめ、大仁田厚元参議院議員や神取忍元参議院議員が知られているが、その嚆矢となったのが、アントニオ猪木氏だ。

 アントニオ猪木氏が最初に出馬し当選したのは、1989年の第15回参議院議員通常選挙だ。比例区から「スポーツ平和党」で出馬したアントニオ猪木氏だが、当時の参議院議員通常選挙は今と異なり「厳正拘束名簿方式」といい、比例区では「政党名」しか書けない投票方式だった。にもかかわらず、「スポーツ平和党」は約100万票を集めることに成功し、1議席を獲得、猪木氏は参議院議員に初当選する。ちなみにこの時、選挙区における無効票・白票は「2.65%」だったのに対し、比例区における無効票・白票は「3.87%」と明らかに多く、当時の新聞では「アントニオ猪木」と書かれた無効票が数多く出たことが報道されていることも、猪木氏の人気を物語っているだろう。

 特に当時は消費税導入が世論の関心の中心だったことから、「国会に卍固め」「消費税に延髄斬り」といったフレーズも注目を浴びた。現代に至るまでパフォーマンスに長けた議員は少なくないが、そういった意味で注目を浴びるスポーツ新聞系議員の嚆矢でもあった。

 参議院議員に就任後は、湾岸危機においてイラク在留日本人が実質的に人質となったなか、急遽「スポーツと平和の祭典」をイラクで開催すると発表。政府は大反対するなか、長州力や馳浩によるイベントを成功させ、在留日本人の解放に繋がった。しかし、参議院議員としての任期後半はスポーツ平和党の内部分裂など問題を抱え、猪木自身も1995年の第17回参議院議員通常選挙で落選。いったんは政治活動から退いた。

日本維新の会所属の参議院議員として2期目に

日本維新の会から立候補したアントニオ猪木氏
日本維新の会から立候補したアントニオ猪木氏写真:鈴木幸一郎/アフロ

 アントニオ猪木氏を元参院議員として認識している若い世代がいるとするならば、日本維新の会の参院議員としてではないだろうか。2013年第23回参議院議員通常選挙に日本維新の会の比例代表候補として出馬し、今度は個人名で35万6606票を獲得し、2期目の当選をした。

 兼ねてから北朝鮮との繋がりが多かったアントニオ猪木氏は、国会議員に就任した後は渡航禁止勧告の出ている北朝鮮に行かれなくなることを憂慮し、「当選した後で、就任する前」という参議院議員にしかないわずかな期間を使って北朝鮮に渡航。その後も後述するように北朝鮮との関係性を一定保っていた。当時の日本維新の会が分裂する際には次世代の党、日本を元気にする会とミニ政党を渡り歩き、2019年の第25回参議院議員通常選挙には不出馬となった。

 ちなみに、国会(参院予算委員会)の質問で、猪木お決まりの「元気ですかー!」を叫び、「元気が出るだけでなく心臓に悪い方もいる」と山崎力委員長に窘められたのも、この任期中のことである。(以下、動画再生時の音量注意)

猪木氏と北朝鮮との深いパイプ

写真:ロイター/アフロ

 猪木氏と北朝鮮との関わりは、プロレスラー時代のことであるから詳細は省くが、猪木氏は「スポーツ交流を通じて世界平和を」という行動原理で国会議員に就任したと言っても過言では無い。先述の湾岸戦争前夜のイラクしかり、行動原理の中で北朝鮮に対して独自の関わり方を提唱していた猪木氏は、北朝鮮問題について「言うだけで無く行動を」としきりに訴えていた。

 事実、猪木氏は北朝鮮の最高幹部級である金永南氏や張成沢氏と話をするなど、「北朝鮮通」を超えて個人の立場で外交関係を築き上げるまでに至っていたが、政府与党の北朝鮮に対する方針と異なる動きであったことや、国会のルールである渡航手続きを無視するなどしたことなどから、猪木氏の一連の北朝鮮との交流を否定的にみる向きも多かった。なお、2013年には参議院議院運営委員会で渡航不許可となりつつも北朝鮮を訪問したことで、本会議で「登院停止30日」の懲罰を受けたが、これは衆参両議院を通じて現在に至るまで最後の「登院停止」処分である。

 ただ、いずれにせよ「北朝鮮通」ということに変わりはなく、筆者自身も日本維新の会時代の猪木元議員に与野党議員が勉強に通いに行く姿を何度も見ているし、立法府の北朝鮮に対する理解を深めることに貢献したことまでは認められるべきだと感じている。

 「スポーツ交流を通じて世界平和を」という行動原理を訴えて当選し、2期の任期の中で具体的にプレイヤーとして活動された猪木氏、上記に述べたように様々な角度による評価はあるものの、愚直に活動していたことを永田町の関係者は思い出すのではないだろうか。三途の川を渡っても、先に鬼籍に入った国会議員一人ひとりの傍に立ち、「元気ですかー!」と叫んでいただきたい。

謹んでご冥福をお祈りいたします。

選挙コンサルタント・政治アナリスト

1988年生まれ。青山学院高等部卒業、青山学院大学経営学部中退。2010年に選挙コンサルティングのジャッグジャパン株式会社を設立、現在代表取締役。不偏不党の選挙コンサルタントとして衆参国政選挙や首長・地方議会議員選挙をはじめ、日本全国の選挙に政党党派問わず関わるほか、政治活動を支援するクラウド型名簿地図アプリサービスの提供や、「選挙を科学する」をテーマとした研究・講演・寄稿等を行う。『都道府県別新型コロナウイルス感染者数マップ』で2020年度地理情報システム学会賞(実践部門)受賞。2021年度経営情報学会代議員。日本選挙学会会員。

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