追悼、元世界ヘビー級王者、レオン・スピンクス
前立腺癌を患い、長く伏せっていた元世界ヘビー級チャンピオンのレオン・スピンクスが、現地時間5日にネバダ州ヘンダーソンの病院で永眠した。享年67。
ミズーリ州セントルイスのゲットーで育った彼は、貧困に喘ぎ、犯罪と隣り合わせの土地で生きる術を学んだ。
「幼い頃、俺には何一つ必要な物が与えられなかった。赤貧だったんだ」
と、後にスピンクスは振り返っている。
海兵隊員を経て、弟のマイケルと共に1976年のモントリオール五輪で金メダルを獲得。
プロ入りしてからも、マイケルと切磋琢磨しながら頂点を目指した。デビューから僅か13カ月後、6勝(5KO)無敗1分けの若手有望株として、36歳だった時の世界ヘビー級チャンピオン、モハメド・アリに挑む。驚異的なスタミナとアグレッシブさで、「ザ・グレイティスト」のお株を奪い、スプリットディシジョンでタイトルを獲得した。
しかし、7カ月後の再戦で敗れると、二度と世界タイトルを手にすることはなかった。
スピンクスは42歳まで現役を続けたが、キャリアの中盤以降は若手の咬ませ犬とされることも多く、戦績は26勝17敗3分けとなっている。
国際ボクシング殿堂で顔を合わせた際、一度だけスピンクスをインタビューしたことがある。
「アリに勝った一戦が、最大の喜びだね。ボクシングキャリアだけじゃなく、人生においても。周囲の人に愛されるような人間になろうとしたが、俺はそんなタイプじゃない。カネを得てからは人生を楽しみたかった。なかなか思うようにはいかなかったけれど……」
ダメージを減らすためにと、敢えて抜いた2本の前歯がない顔で、彼は微笑んだ。
酒やドラッグに溺れ、無謀運転で逮捕されたこともあった。故郷のホームレスシェルターに入っていた時期もある。息子のコーリーはウエルター、スーパーウエルターと世界タイトル2階級を制したが、コーリーの兄、カルビンは、プロボクサーとなって2勝目を挙げた直後の1990年6月に射殺されている。
晩年は、2011年に入籍したブロンドヘアーの白人妻に支えられていたことが救いである。
今、スピンクスは天国でカルビンと再会を果たしているのだろうかーーー。心から冥福を祈りたい。合掌。