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2018 高校野球10大ニュース その6 まさかまさかの引き分け再試合

楊順行スポーツライター
(ペイレスイメージズ/アフロ)

「あれっ? タイブレークじゃないの」

 記者席で、こんな声が上がった。10月22日、北信越大会決勝。啓新(福井)と星稜(石川)の一戦は、2対2で延長に入ってもなかなか決着がつかない。12回を終わっても、そのまま。通常の延長13回が始まったところで、記者席に疑問符が飛び交ったのだ。13回からはタイブレークじゃないのか、と。

記者席も勘違いする規定

 2018年度から導入されたタイブレーク制度。その経緯については、前回の「10大ニュース・その5」でふれたが、さらに高校野球特別規則では、タイブレークについてこう定めている(抜粋)。

(1) 以下の大会でタイブレーク制度を採用する。

春季・秋季都道府県大会、春季・秋季地区大会、選抜高等学校野球大会、全国高等学校野球選手権大会(地方大会含む)

 そして運用についてふれている(2)の7では、「決勝はタイブレーク制度を採用しない。決勝での延長回は15回で打ち切り、翌日以降に改めて再試合を行う。ただし、決勝の再試合ではタイブレーク制度を採用する」とある。つまり、「秋季地区大会」である北信越大会の「決勝」だから、13回になってもタイブレークを行わないのだ。そしてこと決勝に限っては、延長15回引き分け再試合という従来の規定が生きていることになる。この規定、当事者にも周知が徹底していなかったようで、啓新の植松照智監督にしても、

「途中までは、タイブレークが頭をよぎっていました。ただ、試合中に念のために確認すると、ああ、15回までやるんだな、と」

 さらに、通常の延長イニングに入っても、だ。星稜のエース・奥川恭伸は、延長13回に右手に打球を受け、バットを振れないほどの痛みがありながら、気迫で13回以降も零封。啓新も、13回に救援した浦松巧が4イニングを無失点で切り抜る。結局、なんと15回まで2対2が動かずに引き分け再試合となったのだ。

それにしても、星稜……

 タイブレークが導入されたとき、「決勝はタイブレーク制度を採用せず、延長15回で引き分け再試合」という規定を見て、ずいぶんご丁寧なことだと思ったものだ。だって決勝引き分け再試合なんて、何10年に一度のレアケースでしょう。つまりは、実際はそんなことないだろうけど、念のために入れておきます……という条文といってもいい。それが、導入初年度にこうもあっさりと実現してしまうとは。しかも、一方のチームはあの星稜。夏の甲子園で史上2度目のタイブレークをやったかと思えば、それから2カ月後には、タイブレーク導入後初の決勝引き分けを演じるのだ。どれだけ劇的なチームなのか……。

 星稜の林和成監督は、タイブレーク導入当時にこんなふうにいっていたものだ。

「延長18回のドラマの後輩としては、人為的に得点が入りやすいように設定するタイブレークには反対でした」

 そう。星稜といえば1979年夏、箕島との延長18回の激闘は、甲子園の宝物ともいえる。林監督自身、92年夏の「松井5敬遠」のときは、2年生として二番を打っていた。なんとも、歴史的な場面にめぐり合う星回りである。15回引き分けに終わったあとの林監督、「皆さんは、どうします?」とわれわれ報道陣に語りかけたのがおかしかった。試合終了時で、午後2時前。再試合など想定していないから、むろん宿の手配もしていないだろう。かといって、試合会場の新潟市から地元・金沢市に戻るには移動時間がかかるし、また出てくるのが大変……。翌日までの過ごし方を考えあぐねたのが、「皆さんは、どうします?」だった。

 ちなみに私の場合なら……土曜日に予定されていた準決勝が雨で一日順延したため、ただでさえ1泊の予定が2泊に延びていた。その分、東京でやるべきことがたまっており、いったん帰京しました。そしてふたたび新潟に向かった翌日の決勝再試合は、7対4で星稜が制している。

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は64回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて55季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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