アーモンドアイの父・ロードカナロアの安田記念が1分31秒5の苦痛だった理由
名スプリンターでマイルへ挑戦
東京競馬場での5週連続G1のトリを飾るのが今週末の安田記念。同レースにはアーモンドアイとダノンスマッシュの2頭のロードカナロア産駒が出走する予定だ。とくにJRA史上初となる8つ目のG1獲りに挑むアーモンドアイは圧倒的な1番人気が予想される。不利を受けた昨年は3着に敗れたが、雪辱して父娘二代での安田記念制覇が成るだろうか。注目されるところだ。
一方、先週のG1・日本ダービーはコントレイルの勝利で幕を閉じた。その後、行われた目黒記念(G2)を優勝したのはキングオブコージだった。4連勝で重賞初制覇を飾ったこの馬を管理する安田翔伍は言った。
「キングオブコージは気合いを乗せずいかにリラックスさせるかが大事なタイプです。中には気合いを乗せた方が良い馬もいるけど、キングオブコージの場合、動きが良くても気合いが乗り過ぎちゃうと今一つなんです」
このように“馬によって色々な個性がある”ことを知れたのは、彼が「調教助手時代に携わった1頭の名馬のおかげだった」と言う。
話は7年と少し遡る。2013年の春、当方に一本の電話がかかってきた。かけてきたのが安田翔伍だった。当時、父の安田隆行の下で調教助手をしていた彼は聞いてきた。
「秋にロードカナロアをブリーダーズC(以下、BC)へ挑戦させたいのですが、どういう臨戦過程がありますかね?」
更に遡ること3年。10年に2歳で入厩したロードカナロアの調教で、跨った安田は「この馬で重賞を勝てなかったらダメだ」と即座に感じた。1982年生まれで当時まだ28歳。しかし高校を中退して牧場で働き、アイルランドでも修行するなど、それなりに経験を積んでいた。だからこそ、そう感じる事が出来た。結果、ロードカナロアは12年にスプリンターズS(G1)をレコード勝ちしG1初制覇を成し遂げると、暮れには香港スプリント(G1)に挑戦。数々の日本のG1スプリンターが返り討ちに遭ってきた短くも遠いゴールを日本馬として初めて先頭で駆け抜けてみせた。
そして13年、高松宮記念(G1)もレコードで優勝。スプリント界に敵なしという状況でかかってきたのが「BCに挑戦」という冒頭の電話だった。当時のBCターフスプリントは基本6・5ハロン(1300メートル)。距離は問題ないかと思いきや、安田は「いえ、挑みたいのはマイルの方なんです」と言い、更に続けた。
「調教で乗っている感覚や(主戦の)岩田(康誠)さんに聞いた話の感じからもマイルまでは絶対に大丈夫です」
「1分31秒5の苦痛だった」と安田が語る理由
「マイルまでは絶対に大丈夫」
その言葉を証明すべく、ロードカナロアは安田記念に駒を進めてきた。安田は述懐する。
「父に相談したところ『任せる』と言っていただきました。オーナーからも理解をいただき、安田記念への挑戦を正式に決定しました」
スプリントからマイルへ。400メートル延びるが、調教で特別なことはしなかった。「変にいじるのはかえって良くない」と考えたのだが、その思考に至るには理由があった。
「カナロアはレースまで間隔のある時期だと、小さな音にでも反応して暴れ、落ち着かせるのに時間を要しました。でも、レースが近付くと逆に大人しくなり、少々の音がしても堂々としているような馬でした」
だから下手に外的刺激を与えるよりも、この馬のリズムを守る方が大切だと考えた。「馬によって色々な個性がある事を教わり」普段通りの調整過程でマイル戦に臨む事にしたのだ。結果、6月2日に行われたレース当日も良い雰囲気で迎えられたと続ける。
「前年の夏に体調が下降し、秋に立て直すのに苦労しました。だからレース後にすぐ水をかけられるよう準備するなど暑さ対策だけはしっかりしました。カナロア自身はいつも通り行儀良く歩いていたし、状態は良いと感じました」
しかし、臨戦の場は“競馬”である。何も不安がなかったわけではない。
「1600メートルは大丈夫だと確信していたけど、勝つか負けるかは競馬なので別問題です。負ければ安田隆行調教師が責任を取ってくれるといえ、進言した立場上、大きなプレッシャーがありました」
だからゲートが開いてからゴールまでの間、息すら忘れる状況が続いた。道中はしっかり走れているとは思ったが安心する事はなかった。直線、ゴチャついて他馬と接触した時には自然、歯を食いしばった。ミュートを解いたように周囲の声が蘇ったのはスタート後1分31秒5経ってから。ロードカナロアが誰よりも早くマイルのゴールを走り抜けた瞬間だった。
「思わず万歳しましたけど、喜びよりホッとした気持ちの方が大きかったです。レース中は正直、ずっと苦痛を感じていました」
マイルも克服した事でロードカナロアの可能性は広がった。挑戦の先に栄光があるとは限らないが、栄光の手前には必ず挑戦がある事を証明し、同時に種牡馬となった後の価値も高めた。そして、現場としては次のようにも考えていたと言う。
「これで前年より良い形で夏を過ごせると思いました」
秋初戦のセントウルS(G2)は前年同様2着に敗れるのだが「レース後の反動などは前年と全く違った」(安田)。結果、当初予定していたBCこそ回避したが「スプリンターズS連覇が出来たし、ラストランの香港スプリントでは2着に5馬身も差をつける事が出来ました」と言い、念を押すように続けた。
「安田記念がなければラストランの香港でのぶっち切りもなかったと思います」
こうしてロードカナロアはこの年の年度代表馬に輝くのだが、全ては1分31秒5の苦痛からつながっていたのである。
ちなみに現在は調教師となった安田翔伍。「カナロアから教わった事を生かさなくてはいけない」と誓う彼の、車のナンバーが“1315”である事はあまり知られていない。
(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)
*なお、今回の原稿は以前の取材を元に改めて電話でお話を伺って構成しました。対応くださいました安田翔伍調教師、ありがとうございました。