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ドウデュースで天皇賞勝ちの武豊に、その約1カ月前、驚かされた女性厩務員のお話

平松さとしライター、フォトグラファー、リポーター、解説者
武豊騎手(中央)と大内紗南厩務員(右)、松浦聡志調教師

競馬とは無縁の家庭で育つ 

 「全然ズブくなかったよ」

 ドウデュースで天皇賞・秋(GⅠ)を制す武豊に、その1カ月と少し前、そう言われた大内紗南(さな)。驚くと同時に恐縮した。

 「レース前に『どんな馬かな?』と聞かれました。乗った人のほとんどが“ズブい”と評価するので、そのまま伝えたのですが、豊さんにかかると全くそんな事はなかったようなので驚きました」

 さらにその後、レジェンドに言われた言葉に驚いた。

パドックでの武豊騎手と大内紗南厩務員。右は松浦聡志調教師
パドックでの武豊騎手と大内紗南厩務員。右は松浦聡志調教師

 1999年3月10日生まれだから現在25歳の大内。西宮の競馬とは無縁の家庭で一人娘として育てられた。

 「突出して出来る事があるわけではなかったけど、運動も勉強も人並みでした」

 大学卒業後は園田で一人暮らしをしながら会社勤めをした。しかし、1年足らずで辞め、アルバイトを探した。すると……。

 「園田競馬場でレース後の採尿検査に携わるバイトを募集していました」

 競馬はよく分からなかった。ただ、ウマ娘なら漫画もアニメもゲームもやっていたので、興味はむしろあった。

 「コパノリッキーのキャラクターが好きで、実際にその産駒に逢えたら面白いと考えていました」

 採用試験を受けると合格した。

園田競馬場でのレース風景
園田競馬場でのレース風景

 実際に働くと、気付いた事があった。

 「『厩務員は大変な仕事』と、見ていて感じました」

 ところが1年以上働いていると、思わぬ感情の変化があった。

 「大変そうではあるけど、馬は可愛いので、自分の担当馬がいたら楽しそうだと考えるようになりました」

 そんな話をしていると、ある厩舎の人に「やってみれば良い」と声をかけられた。

 「結局その厩舎には経験者が入ったため私は入れませんでした。でも、それを知った松浦(聡志)調教師が『じゃあ、うちに来れば?』と声をかけてくださいました」

 松浦は園田ではなく西脇に厩舎を構えていた。「それだけがネックになった」と苦笑する大内だが、調教師本人に対しては好印象を抱いていたので、思い切って西脇行きを決断。24年4月から新人厩務員として新たなキャリアをスタートした。

大内紗南厩務員の仕事姿(写真提供=松浦聡志調教師)
大内紗南厩務員の仕事姿(写真提供=松浦聡志調教師)

調教師と厩舎スタッフに恵まれて

 「決断して良かったです。松浦先生は気さくで面倒見も良いし、厩舎の先輩スタッフは女性1人を含め3人いるのですが、皆10年以上働かれているベテランで、何でも優しく教えてくださいます」

 時には叱られる事もあるそうだが、それに関しては次のように言う。

 「例えば朝、出遅れ(遅刻)て、怒られる事はありません。でも、その事によって作業が雑になると、ちゃんと叱ってくださいます。理不尽に怒られる事はないので、自分でも納得出来ています」

 その上で、普段はむしろ甘やかしてもらっていると続ける。

 「若い人の間で流行っている話題などを出して『どうせ知らないでしょう?』等と言っても笑って流してくれます。『生意気だ』なんてからかわれる事はあるけど、本気で言っているわけではないのが分かるので、むしろ楽しくやらせてもらっています」

松浦厩舎のスタッフと(写真提供=松浦聡志調教師)
松浦厩舎のスタッフと(写真提供=松浦聡志調教師)

 そんな先輩に助けられ、担当したインタクトが2戦目で早くも勝利を挙げた。

 「コントレイルの下という良血で、先輩方が準備をしてくださいました。私は良いところだけ持っていかせてもらった感じ。何もしていないのに勝てました。勝てば賞金が入るから嬉しいのは当然と思っていたのですが、お金は関係なく滅茶苦茶嬉しいという事に気付きました」

まさかのレジェンドと

 もう1頭、担当したのがコンドリュールだった。

 「最初の頃は調教に行こうとせず、動かなくなるので苦労しました」

 1カ月ほど経ったある日には、調教後に曳いていると、暴走されそうになり「5メートルくらい引きずられた」と言う。しかし……。そこからこの馬の事が「もっと好きになった」(本人)。

 「『こいつには負けないぞ』というつもりで接するようになりました。わがままで手を焼く反面、調教に行きたくなくて寝たふりをしながら薄目を開けてこっちを見ていたり、私の膝の上で本当に寝てしまったり、もの凄く可愛い面もあるんです」

とにかくよく寝るというコンドリュール(写真提供=大内紗南厩務員)
とにかくよく寝るというコンドリュール(写真提供=大内紗南厩務員)

 9月、そんなコンドリュールを、松浦がゴールデンジョッキーズC(以下、GJC)に登録した。GJCは通算2000勝以上の名手だけを対象に、抽せんで騎乗者が決まるイベント。コンドリュールの鞍上には、なんとレジェンド・武豊が選ばれたのだ。

 「『まさか武豊さん!』ってビックリしました」

 しかし、本当に驚くのはその後の事だった。ゲート地点まで行き、スタートを見守ると、出遅れた。

 「元々出遅れ癖のある馬で、まだやっちゃったので『はい、終わった~』って思いました」

 ところが……。

 ひと足先にゴール前へ移動し待っていると、最後の直線、先頭で走って来るコンドリュールの姿が見えた。

武豊騎手を背に直線堂々と抜け出したコンドリュール
武豊騎手を背に直線堂々と抜け出したコンドリュール

 「叩いても伸びない馬で、皆にズブいと言われていたのに、スイスイと先頭でゴールへ向かって来たので驚きました」

 そのまま1着でゴールに飛び込むと、松浦や厩舎の先輩、採尿係時代の仲間ら皆に祝福された。そして、感謝の気持ちを武豊に伝えようとすると、レジェンドの口から思いもしない言葉がかけられた。

 「『ありがとう』と言ってもらえました。こんな良い経験をさせてもらっただけでこちらが感謝をしなくてはいけないのに、逆にそう言ってもらえたんです。凄い人なのに、ムッチャ良い人で、本当に驚きしかありませんでした」

勝利して上がって来た武豊騎手と言葉をかわす大内厩務員
勝利して上がって来た武豊騎手と言葉をかわす大内厩務員

今、望んでいる恩返しの形

 季節によっては夜中の12時半に起きて1時には厩舎へ行く。地方競馬の厩務員の仕事は決して楽ではない事が、それだけでも分かるが「今は楽しくて仕方ない」と言う。

 そんな大内に、これからどうしたいのかを問うと「厩舎の力になって、少しでも恩返しをしたい」と答え、続けた。

 「以前、園田でウマ娘とのコラボがあって、私もポストカードが欲しかったのですが、厩務員は一般エリアに行けないので諦めていました。そうしたら松浦先生がわざわざもらってきてくれました」

松浦聡志調教師と(写真提供=松浦聡志調教師)
松浦聡志調教師と(写真提供=松浦聡志調教師)

 笑った後、真顔になると、続けた。

 「厩務員になる時の面接で、松浦先生は『馬達が厩舎にいる間は健康で幸せに過ごせるようにしてほしい。だから馬にとって良い事であれば出来る限り何でも出来るように努めてほしい』とおっしゃられました。その先生が間もなく開業300勝を達成出来そうなので、うまく私にタイミングが回って来て達成出来れば良いな、と思っています」

 タイミングばかりは時の運にも左右されるが、実際、そうなった時にしっかり勝てるか否かは運だけではない。GJCでそれを証明している彼女なら、もしかしたらまたやってくれるかもしれない。果たして「恩返しが出来ました」という朗報が園田から届くか。期待しよう。

大内紗南厩務員
大内紗南厩務員

(文中敬称略、写真提供=平松さとし)

ライター、フォトグラファー、リポーター、解説者

競馬専門紙を経て現在はフリー。国内の競馬場やトレセンは勿論、海外の取材も精力的に行ない、98年に日本馬として初めて海外GⅠを制したシーキングザパールを始め、ほとんどの日本馬の海外GⅠ勝利に立ち会う。 武豊、C・ルメール、藤沢和雄ら多くの関係者とも懇意にしており、テレビでのリポートや解説の他、雑誌や新聞はNumber、共同通信、日本経済新聞、月刊優駿、スポーツニッポン、東京スポーツ、週刊競馬ブック等多くに寄稿。 テレビは「平松さとしの海外挑戦こぼれ話」他、著書も「栄光のジョッキー列伝」「凱旋門賞に挑んだ日本の名馬たち」「世界を制した日本の名馬たち」他多数。

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