【深掘り「鎌倉殿の13人」】結城朝光が討伐されそうになった、無用な一言とは
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の28回目では、結城朝光が危うく討伐されそうになった。いったい彼が何を言ったのか、詳しく掘り下げてみよう。
■結城朝光が言ったこと
結城朝光が討たれそうになった原因となる一言は、『吾妻鏡』正治元年10月25日条に書かれている。
この日、朝光は夢想のお告げあったこともあり、御所侍とともに源頼朝の冥福を祈念すべく、阿弥陀経を唱えた。このとき朝光は、列席した面々に次のように語ったという。
「忠臣は二君に仕えないという。ことに、私は頼朝様の厚恩を受けた。頼朝様が亡くなったとき、遺言(出家してはならない)があったので、私は出家しなかったが後悔するばかりである。今の世情は、薄氷を踏むような思いがする」
この朝光の言葉に続けて『吾妻鏡』は、朝光は頼朝に近侍していたので、とても頼朝を懐かしんだのだろうとし、朝光の言葉を聞いた人は、みな涙したと書き記している。
朝光の言葉を素直に読めば、長らく頼朝に仕えてきたので、その厚恩を思い返すと同時に、できれば出家したかったという思いを吐露したにすぎない。周りの人が涙したのは、そういう理解だったからだろう。
とはいえ、最後の「今の世情は、薄氷を踏むような思いがする」という言葉は、やや引っ掛かる。この言葉は、頼朝死後における、北条氏、比企氏などの主導権争いを意味しているのだろう。朝光は、そういう動きを懸念していた。
また、「忠臣は二君に仕えないという」という言葉も、「頼朝の跡を継いだ頼家には仕えたくない」という意思表示とも受け取れる。それは、朝光の出家したいという意思と通じている。不用意と言えば、たしかに不用意な一言だったかもしれない。
■事態の急展開
朝光の不用意な一言は、たちまち自身が窮地に陥る原因となった。
『吾妻鏡』正治元年10月27日条によると、阿波局(北条時政の娘で阿野全成の妻)が朝光に対して、「梶原景時が讒訴した」との情報をもたらしたことが判明する。しかも、朝光を殺害するというから、決して穏やかな話ではなかった。
なぜ、朝光は殺されそうになったのか。景時は朝光の「忠臣は二君に仕えないという」という言葉に反応し、けしからんことだというのである。理由は、先述した理解に基づくのだろう。そして、景時は「早く朝光を断罪すべきだ」と述べた。これには、朝光も驚天動地の心境だったに違いない。
■まとめ
朝光は頼朝を懐かしみ、思わずポロリと言葉を発したが、景時はその言葉を聞き逃さなかった。朝光はたちまち窮地に陥ったのであるが、即座に形勢は逆転した。その点は、追って取り上げることにしよう。